ハタチ過ぎればタダの人

「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只の人」とは昔からよく言われてきた。小さな頃には才能に満ち溢れた優秀な子供だったのに、歳を重ねるにしたがってその才能が萎んでいき大人になると凡庸な人間になってしまう人が多いのは今も昔も変わらないらしい。ここでいう神童とはいわゆるお勉強ができるだけの子供にとどまらない。”他の人とは違う”何かがキラッと輝いている子供のことをいうのだと思う。

生まれながらにせっかく輝きを持っていながら社会に出ると大人の事情ばかりを気にするあまりにタダの人になってしまう。”タダの人”はトラブルを起こしたりあからさまに対立したりせず周りに同調して安穏と生きていくことを覚えた人たちだ。ところが”タダじゃない人”は他人の事情などあまり考えない傾向が強い。自分のやりたいことをやりたいときにやりたいようにやる。なんの世界でも「偉人」とか「天才」と呼ばれる人たちはどこか普通の”タダの人”とは違う雰囲気を持っている。「天才と狂気は紙一重」と言われる所以ではないだろうか。

ボクは結局自分の意思を通すこともできずに安易に周囲に同調した結果”タダの人”になった。その結果、比較的安穏とした生活ができている。だからそれを悔やむことはないが時には「違う道を選んだらどうなっていたのかな?」と思うことがないわけではない。もしかしたら”タダの狂人”になって周囲に迷惑ばかりをかけていたかも知れないが、今となっては確かめるすべもない。

もちろん”タダの人”が悪いわけではない。みんなが天才になったらそれは凄いことかもしれないが恐らく今のような社会基盤やテクノロジーは発達しなかっただろう。思いつく人とそれを実現する人には違った才覚が必要になる。いいアイデアがあってもそれを周囲の人と協力しながら組み立てて実現していくには同調や妥協が必要だ。時には自分の意思を押し殺して我慢しなければならない。それをできるのが”タダの人”である。

世の中には絶対的なものはない。いいものも悪いものも、優れたものも劣ったものも視点を変えれば正反対に見えることもある。全てはバランスだ。そのバランスを見ることができるのも”タダの人”の大切な才能なのだ。

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