知ったらやりたくなるでしょ?

原爆をはじめとする核兵器の開発。最初は相対論から導き出される原子核分裂反応を実証する実験から始まった。当初は”核兵器”などというものは念頭になかったかもしれない。しかし実験室の中でそれが実現され、理論が正しかったことがわかった途端に兵器への応用を考えた軍人がいた。アメリカ陸軍のレズリー・R・グローブスである。最終的には彼の陰謀が広島や長崎の原爆投下につながったとも言われているが真相はわからない。

ただ原子核分裂の実現という手段を手にした軍人がこれを兵器として利用しようとするのはある意味自然なことだ。可能だとわかったら使ってみたくなるのである。それがどのような結果を招くことになったのかはその後の歴史が証明している。しかしそれでもこの地球上にはおびただしい数の核兵器がいつ使われてもいいように準備されている。

かつては「遺伝子操作」と呼ばれていたがヒト・ゲノムが完全に解読されると「ゲノム操作」と呼ばれるようになった。昨年は中国で人のゲノムを操作した受精卵から双子の赤ちゃんを誕生させて大きな問題になった。ゲノムを操作されたとはいえ生まれてきた赤ちゃんは二人のれっきとした人間である。その子たちが子供を作りその子供がまた子孫を作れば操作された遺伝情報は営々と受け継がれていくことになる。「いけないことだったからやっぱりナシにしましょう」ということはできない。その人間を殺せというのか。技術はそれが可能だとわかれば使ってみたくなる。それをギリギリのところで人間の倫理観が押さえつけてきた。

そんなに大それたことでなくてもいい。ボクにもその気持ちがちょっとだけわかる。しかしそれはほんの小さなことだ。ボクの場合はコンピュータのプログラミングだった。プログラミングに触れたのは高校生の頃だった。家電製品の中に入っているプリント基板のようなマイクロコンピュータに電卓のようなキーボードから16進数のプログラムコードを打ち込んだ。入力したプログラムはどこかが間違っていたらしくなかなか動かなかった。数ヶ月かかってレシートのような紙に文字を打ち出すプログラムが動いた。一度動いてしまえばこっちのものだ。もうやり方はわかっている。そのプログラムを改造して色々なプログラムを作った。小さなプログラムを作って思い通りに動くようになると次はもっと大きなこともやってみたくなる。

やがてボクは就職して製造工程管理という仕事に就いた。「何の部品を何個、いつまでに作れ」という指示を工場に指示する仕事だった。製品の受注から必要な部品に展開して製造指示を出すのにコンピュータを使っていた。プログラムの内容がわかれば色々な仕事をさせることができる。そのためにプログラムを独学で勉強した。そして部品を作るための外注さんへの指示をする「外注管理システム」や「品質管理システム」を作った。やり方はわかっているので今度は改良を重ねた。

最初は1台のコンピュータだけで動く小さなプログラムだった。高校生の頃はそれで十分に欲求を満たしていた。しかしそれができるようになると今度はサーバ上で動かしてみたくなる。折しも時代はコンピュータ&コミニュケーションの時代になった。小さなネットワークを作ってノートパソコンをサーバにしてWebプログラムを動かしてみる。ちょっと苦労して勉強したが割と簡単に実現できた。そして今度はインターネット上にサーバを借りてみんなが使えるデータベースシステムを構築する。欲求はどんどんエスカレートした。でも実現したかったのは職場をコンピュータ化することではない。仕事を早く楽に終わらせることだ。でも次第に目的と手段が交錯して入れ替わってしまった。

なんでも知ったら、手にしたらやりたくなってしまうのは人の性なのだと思う。拳銃を手にしたら撃ってみたくなるし、スポーツカーを手に入れれば猛スピードで走ってみたいと思う。原子核分裂を研究していた学者たちは原爆という核兵器が出来上がってしまってから自分たちの犯した重大な罪に気づいたという。しかしおそらくその将来の展開を予想していたのはごく少数の独裁者だけだったのではないかと思うのだ。

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