ものの道理

大抵の物事には順番がある。それは「効率的な順番」だったり「普通はそうなる」という順番のこともあるし、「厳然とした確固たる順番」のこともある。例えば家で年末の大掃除をしようと思えば最初に部屋の中を大雑把に片付けてから掃除をする部屋の順番を決め、最初に掃除する部屋の中にある掃除に邪魔になるようなものを他の部屋に移動させてから掃除に取り掛かる。次の部屋に取り掛かるには同じような作業を繰り返せばいい。何もしないまま掃除機を取り出して埃を吸い取り始めても二度手間三度手間になって時間がかかるばかりだ。

効率とは別にお役所での確定申告や戸籍謄本の申請などでは決まったルールがあってほんの僅かでも違ったやり方をしようとすれば冷たく拒否されてしまう。決められたことを決められた順番に正確にやらなければならない。これを通称”お役所仕事”という。効率は悪いがやってもらわなければ困るのでどうしようもない。以前にも触れた「X非効率」だ。

「終活」ということが世間でも話題になっている。生き物はおおよその寿命が決まっていて歳をとればやがて死んでいくことが必然だ。もちろん不慮の事故や病で若くして命を落とすこともあるが、多くの人は年老いて死んでいく。だから自分より年上の人が自分より先に死んでいくことは自然なことだし年下の人の方が長生きするのも納得しやすい。だから自分の両親は多くの場合自分より先に死ぬし、子供は自分よりも長生きするのが自然だ。だから自分より先に子供が死んでしまうのはとても悲しいことに違いない。

自分の親が自分より先に死んでいくのはある意味、自分が生まれた時から運命付けられたことでありそれこそ常識的なごく当たり前のことである。それでも人は自分の両親が死ぬことを悲しむし涙する人もいる。

ボクには、どうもそのあたりの感覚がわからない。自分が幼い頃に、一人で生きていく力がないうちに保護者が死んでしまったら困るなぁと思ったことはあるが、年老いた親が先に死んでいくことが悲しいことだとは思ったことがない。だってそれは当たり前で自然なことなのだから。

親しい友人の前でもそんな話をすると「薄情だなぁ」と非難されるがそうだろうか。そうだというなら親は何歳まで生きていたら満足するのだろう。「できるだけ長く」というのは答えになっていない。それは「いつまでも永久に死なないでいて欲しい」という答えと同じことだ。「生き物は必ず死ぬ」という絶対的な事実を無視している。

ボクの両親は今の所まだ存命だが近いうちに間違いなく他界するだろう。その時にもボクは悲しむことはないと思う。だからと言って「薄情だなぁ」なんて言わないでね。

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