葬式仏教

お寺では檀家が減っているらしい。当然お寺の経営にも大きな影響が出ており「寺をたたむ」ということも頻繁に起きているらしい。戦後、工業化と高度経済成長に伴って核家族化が進み、若者が地元を離れて都会に出てしまったことでお寺と檀家の関係は急速に衰退した。先祖代々住み続けた土地を離れて都会での新しい生活が始まれば生活の中でのお寺の存在感はどんどん小さくなる。都会での忙しい生活に溺れて墓参りにも年に一回行くか行かないかという程度になってしまう。都会で生活する人にとってお寺は墓参りのためだけの存在になってしまった。

それでも祖父母や両親親戚が亡くなれば実家でお葬式が行われる。田舎の残っている人たちはお寺との結びつきもまだ強い。都市部では自宅で葬式を行うスペースもなくマンションのエレベーターには棺桶の乗らないものすらある。ごく小規模に家族だけで葬式をやったりお通夜も葬式もやらないことも多くなった。火葬するだけである。

田舎の葬式ではお坊さんを呼んでお経をあげてもらうのが普通だ。お通夜をしお葬式を出して家族や親戚、近隣の人や友人、生前お世話になった人を招き死者の魂を弔う。ボクらが子供の頃には新興住宅地でもまだそんな風習が残っていた。いつも近所を散歩して挨拶をしていたおじいさんやおばあさんが亡くなれば子供でもお通夜に行ってお焼香をあげたりしていた。いつの間にか「隣は何する人ぞ」という環境になりお葬式もあまり見かけなくなった。

田舎でお葬式が終わり都会に帰ったニューファミリーたちは再び普段の生活に戻っていく。それぞれが仕事に戻り学校に戻り塾へ通う。いつまでも死者の魂に寄り添っている余裕はない。だから葬式さえ済んでしまえばお寺との関係はプツンと切れる。次にまた田舎で誰かが亡くなった時だけお坊さんを呼んでお経をあげてもらう。それだけの関係だ。高度成長期にはそんな関係を揶揄して「葬式仏教」などと呼んだ。

普段はお寺に行くこともなく仏教なんて全く興味がないのに誰かが死んだ時だけ神妙な顔をしてお経を聞き戒名をつけてもらう。多くの人が「面倒臭い」と思いながらも古くからのしきたりを自分の代でやめてしまう勇気がなかった。親戚や隣近所から非難されるのが怖かった。

それでも実家に残っていた人たちが絶えればもうお坊さんを呼ぶこともなくなる。田舎に帰省することもなくなる。普段からお坊さんに会うこともなく面識すらなくなってしまえば全く知らない人と同じになってしまう。そもそも自分たちは宗教なんて信じていないのだから。

明治の廃仏毀釈に始まって日本人は仏教から遠ざかってきた。今の日本人に敬虔な仏教徒はほとんどいないのではないだろうか。お坊さんを呼ぶのはお葬式の時だけになりお寺も葬式ビジネスで食うようになってきた。今の都会ではそれすらも疎まれ、法律に則って手続きと処理だけが淡々と行われる。先祖代々のお墓を管理する人もいなくなり誰も来なくなった墓だけが荒れ果てていく。「私が死んだら骨は海に撒いてください」という散骨も一般的になり世間でも受け入れられるようになって久しい。

ボクも子どもの頃からお坊さんの説法を聞いたことなどほとんどない。最近では歴史的興味からあちこちのお寺を尋ねるようになりそこでお坊さんの説法を聞くこともたまにはあるが決して仏教徒になったわけではない。神様仏様である。拝んでおけば何かいいことがあるかもしれないなという程度の罰当たりな人間なのである。

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