サヨナラが役にたつとき

シェイクスピアの「ジュリアスシーザー」にこんなセリフがあります。

ブルータス「キャシアスさらばだ、さらばだキャシアス。
      再び会うことがあれば微笑みかわすとしよう。
      二度と会うことがなければこの別れが役に立つというわけだ」
キャシアス「ブルータスさらばだ、さらばだブルータス。
      再び会うことが微笑みかわそう。
      もし会うことがなければ確かにこの別れが役に立つというものだ」

ジュリアスシーザーというとカエサルの「ブルータス、お前もか!」のセリフがあまりにも有名ですがシェイクスピア独特の持って回った言い回しの妙も魅力です。もっとも「このワザとらしさが嫌い」という人もいますから人の好みは様々ですがボクはこのブルータスとキャシアスの別れの場面の会話が大好きです。

この場面には”別れ”というものの不確実さと予想が外れた時の間の悪さを良い時間に変える魔法があります。「じゃあサヨナラ」と言って別れたもののどういうわけかまたすぐに出会ってしまい、「や、またお会いしましたな(笑)」などという照れ臭さを誰もが一度は経験したことがあるのではないでしょうか。だから人は(これできっとしばらくは会わないはずだよな)などと変な気をまわしながらサヨナラを言うタイミングを見極めようとするのです。

別れというものには寂しかったり悲しかったりという感情が伴うことは皆さんも別れのたびに経験しているので理解していただけるでしょう。しかしそれに反して「実はちょっとホッとした」と思うことはありませんか? お正月やお盆、GWなどで実家に帰省した時、特に自分の実家ではなく配偶者の実家などだったりすると普段以上に気を使って気疲れしませんか?

休みが終わって自分の家に帰る時、孫やおじいちゃんおばあちゃんはその別れを心から寂しく感じるかもしれませんが親たちにとっては、「これで(責務を果たして)やっと家でゆっくりできる」という気持ちがないとは言えないのではないでしょうか。

それが家族や気のおけない友人であったとしても何日も一緒に行動していると「一人になりたい」と思うこともあるでしょう。どんなに親しい関係でも他人とコミュニケーションをとるにはなにがしかの気を遣わなければ成り立ちません。もちろん気を遣うことで緊張感も生まれますしより良好な人間関係を保つことができるわけです。言いたいことをのべつ幕なしに言っていたら周りを不愉快にもするでしょう。

旅に終わりがあるように人との出会いにもある種の終わりが必要です。一旦別れて自分に問い直し、リフレッシュして次の出会いに備える。そうすることで自然と自分の心のバランスを取ることができるのではないかと思うのです。

別れは人生の中でも大切な儀式です。ある映画の中で主人公の老人が臨終を迎える時、最後にベッドの中で「終点だ」と言って事切れる場面がありました。家族や友人との別れ、人生との別れを淡々と落ち着いて迎えることができたならその関係に思い残すことなくいい終わり方ができるのではないかと思うのです。

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