ファッション

ボクから一番遠い言葉だ。子供の頃から服に対する興味はなく、親が買って着た服を黙って着ていたしそれに対して特段の不満もなかった。もっとも田舎の町だったから町並みからしてオシャレとはほど遠く、山野を駆けずり回って遊ぶにはオシャレより丈夫さや汚れや破れの目立たなさの方が重要だった。結果、家にタンスの中は”3着480円”のようなどこにでもある服で占められるようになり出掛けるときはそれを上から順に着るだけだ。

今でもタンスの中を漁ると20年以上来ている服がざらに見つかる。安い服でも普通に着ていればそうそう壊れるものではない。首回りや袖回りだって順に平均して着ていれば繊維が擦り切れてくるには10年ほどはもつ。さすがに擦り切れて穴が開くとちょっとみすぼらしいのでその時だけ新しい服を買い足す。だからボクのファッションは30年周期だ。

学生の頃は仲の良かった友達が半期に一度、衣替えのタイミングで「もう着ないから」と放出した服をタダで貰って着ていた。ボクに兄はいないがいわゆる”お古”だ。他の友達からは「人が着たやつをよく着れるな」という奴もいたが、着れるなら着た方がいい。何しろもったいなくない。そういう意味でボクは40年以上前から古着ブームに乗っていたわけだ。その友達とは小学校1年から高校3年まで同じ学校だった同級生で部活も一緒だったこともある。

家も歩いて10分ほどの近所に住んでいたのだが、ヤツは背も高く足も長くて女子にモテモテだったのに対してボクはダサくて背も低く全く女子に人気のないある意味で対極にいた劣等生だった。そんなボクが女の子に声を掛けられるのは決まって、
「あ、その服見たことある!」
そりゃそうだ、アンタのカレシから貰ったんだから。そう言うと女の子は「えーっ!信じらんなーい!」と驚き、そこから少しの間は女の子と楽しい会話を楽しめるわけだ。もっとも彼女はヤツのカノジョなんだが。

ボクは紺やグレーの地味な色が好きだったが、ヤツの選んだ服は大抵ちょっと派手な色遣いだった。しかしタダで貰っておいてデザインに文句もつけらないので黙って着ていた。時にはその服を見て「その色、似あうじゃん」と言ってくる友人もいたが最初は「そうかなぁ?」と懐疑的になったものである。しかし何度もそう言われていると自分でも似たような赤や黄色のビビッドな服を買うこともあった。それは必ずヤツと一緒に街に出て「たまには自分で服を買えよ」と言われ、ヤツに見立てを任せた時の服だ。

以前、知り合いのカラーコンサルタントに服のコンサルティングをお願いしたことがある。「この服がいい」というのではなく「あなたにはこういう色の組み合わせが似合いますよ」というザックリとしたものだったが、それはヤツに選んでもらった服の色とぴったり合致した。

やがて就職してヤツとは縁遠くなってしまったが、たまには選んでもらった服の色と似たような色合いの服を買うこともある。すると「変な色!」という人もいるが(主に妻)、「いいね、その色」と言ってくれる人も多い。男は他の男がどんな服を着ていようがあまり興味ないしその感想を口にすることは少ない。だからそれが似合っているのかどうなのかを知る機会もほぼない。だから自分が好きな色と似合う色は別なんだということがわかったのは50を過ぎてからのことだった。

あの時、ヤツの助言にもっと耳を貸していればボクの人生は大きく変わっていたかもしれない。せめてもの古着のお礼に今度会った時には一杯奢ろうと思っている。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください