大草原の小さな家

ローラ・インガルス・ワイルダー、アメリカの西部開拓時代に生きた女性である。その開拓時代の自らの半生を綴った物語が「大きな森の小さな家」から続く「大草原の小さな家」だ。家族は父のチャールズ、母のキャロライン、姉のメアリー妹のキャリーと犬のチャックである。一家はそれまで”大きな森の小さな家”で暮らしていたのだが、森で狩猟できる動物が減ってしまったため、祖父母も暮らしているその土地に別れを告げて豊かな土地を求めて幌馬車で旅をしながら新たな土地を見つけて” Little House on the Prairie”を建てるのだ。

この物語はアメリカでテレビドラマ化され、かつて日本でも放送された。当時は昭和の時代で日本でも宅配ピザやネットショップのような今と比べれば”かゆい所に手が届く”ようなサービスはまだなかったが、このドラマの中で見せられるような”全部自分でやらなければ何もできない”ような世界ではなかった。最近NHK-BSでデジタルリマスター版で放送しているのでお好きな方はご覧になるといい。

まず住むための土地を決めたら自分で家を建てなければならない。家族だけでは出来ない作業もあるのでたまたま出会った人に頼んで手伝ってもらう。そうやって友達も作っていく。馬車が壊れれば車輪から自分で作り、馬の蹄鉄(ていてつ)も鉄を溶かして自分で作る。ここでは誰もが大工であり鍛冶屋である。

集落に行くと店が一軒だけあってすべての買い物はその店でしかできない。鶏を飼ってその卵を店に売り、そのお金で小麦粉を買ってきてパンを焼き、絞った牛乳からバターを作る。大きな洞(うろ)の倒木を見つけて馬車で引いてきて煙突のように立て、上に蓋をした中で煙を焚いて獣肉の塩漬けで燻製を作る。獣肉はもちろん草原で撃ってきて自分で血抜きをして捌いたものだ。だから誰もが肉屋でなければならない。ほとんどが自給自足の生活だ。医者は人間も診るが動物の獣医でもある。教会の神父は日曜日に他の町から馬車でやってくる。平日は教会が学校だ。

そんな壮大なレベルの話ではないがボクらも子供の頃には遊びは自分で作っていた。もちろんボクらは店でプラモデルを買ってくることもあったし駅前には本屋もあった。大工さんや左官屋さん、電器屋さんもいたし水道工事の人もいた。生活のインフラはすべて誰かにお金を払って依頼することで成り立っていたが、子供の遊びの中にはまだそんなに”大人社会”が浸透していなかった。テレビゲームもなかったしスマホやSNSもなかった。大人が子供の遊びを手伝ってくれることはなかった。デパートで見た「人生ゲーム」を真似てオリジナルの双六(すごろく)を作ったり、露店のスマートボール(子供向けのパチンコのようなもの)を見てベニヤ板と釘で自作したりした。決して”スマート”ではなかったが自分の工夫でそれなりに仕掛けを作ったりして面白いものを作る楽しみがあった。

今ではオモチャもゲームも自由研究もすべてを既製品でまかなうことができる。大人が考えて大人が作ったものを与えられて子供たちは育っている。大人も欲しいものや必要なものがあれば店やネットで買えばいいと思っている。”作ろう”などと思う人はほとんどいない。だから大人も子供も自分で何かを作り出す力が弱まっている。自分の力で解決しようという気概がなくなっている。何でも誰かにお金を払って”依頼すること”で解決しようとする。

もはや電気がなければ水道がなければガスがなければ車がなければ日本人は生きていくことさえできない。5キロ先の店まで「車がなければ行かれない」という。歩けば1時間ほどだ。その足は何のためにあるのだ? 歩くためではないのか? ちょっとした困難や煩わしさのたびにボクらは誰かに解決を依頼する。すると各々の分野の専門家がいてつまらないことにもすぐにやってきてくれてたちどころに解決してくれる。それに対してお金を払う。依頼の構造で日本は成り立っている。そしてそれが便利なことは間違いない。

だがそのことについてボクはちっとだけ反抗的だ。創造のない世界は人を貧しくする。弱くする。よく知っているようで実は知らない、できると思っていても本当はできないことばかりになっていくような危機感を抱いている。

先日マンションの玄関の鍵が壊れて鍵屋さんを呼んだ。修理費を見積もってもらうと12万円だという。正直なところ驚いた。実は鍵屋さんを呼ぶ前にボクは自分で交換ができないかと思って玄関の扉から鍵部分を取り外してみた。交換パーツは1万5千円だった。しかし工賃を見積もると部品代込みで12万円だ。鍵屋さんは言った。「自分でバラせるならパーツだけ売りますから自分でやった方が安いですよ」と。もちろんパーツ代にはマージンが上乗せされるがそれでも6万円で済んだ。

結局、ボクは鍵屋さんから部品を買って交換しただけだが、鍵の取り換え方やその作業費にどれだけ取られているのかをその作業量や必要な知識量と比較して考えられるようになったのは大きな収穫だった。特に特殊な作業ではない。ドライバー1本あれば誰でもできることだ。「とにかくやってみる」ことは大切だと思う。次からは部品代だけで自分で交換できる自信がついたしね。

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