本当の理由

行動分析学の本を見ていたらこんな話が載っていた。

うちでは毎朝家族4人がコタツに入って朝ご飯を食べます。その時にうちの弟はいつも左手をコタツの中に入れて右手だけでご飯を食べています。両親は「みっともないからやめなさい」と何度も注意しますが一向に直りません。これは弟の行儀が悪いからでしょうか?

というものだ。

確かに言い訳するときや指摘するときには「行儀が悪いから」「だらしないから」「根性がないから」「不器用だから」「意志が弱いから」などという言葉がたびたび使われる。しかしそれは正しいのだろうか。例えば日記をつけ始めても三日坊主という人がいたとする。それは”意思が弱いから”だと両親から怒られる。つまり、”意思が弱い”から”三日坊主”になる、”三日坊主”なのは”意思が弱い”からだということになってグルグルと回ってしまい三日坊主の原因も意志が弱い原因も説明できない。

(意志が弱い)→(三日坊主)→(意志が弱い)→(三日坊主)→・・・

こんなことは意外と身の回りにもあるのではないだろうか。
・優しくないから
・愚図だから
・不器用だから
・絵心がないから
・ヤル気がないから
・気が小さいから
・引っ込み思案だから
・文科(理科)系だから
・考えるのが苦手だから
・A(B/O)型だから
・末っ子だから

世の中を見渡してみるとこういったあいまいな理由で物事や行動を説明しようとすることが思いのほか多いことに気付く。細かい性格だということを説明するのに「A型だから「理系だから」ということに原因を求めようとする。レストランでメニューがなかなか決められない理由を「優柔不断だから」と説明する。しかし”優柔不断”というのはメニューが決められないことを別の言葉で言い換えただけに過ぎない。

(メニューが決められない) ≒ (優柔不断)

と言っているだけだ。
最初の例に出した”うちの弟”は確かに”行儀が悪い”のかもしれない。だから”片手でご飯を食べる”ことの間に”相関関係”はあるのかもしれないが”因果関係”は説明できない。

そこで姉は考えた。朝ご飯を食べるときのコタツでは家族それぞれの座る場所が決まっている。弟の座る位置はいつも部屋の入口に近いふすまの横だ。誰かが部屋に出入りするたびに廊下から冷たい風が入ってくる。一方でストーブは部屋の奥のお父さんの横にある。「もしかしたら…」と思ってそれぞれの座る場所の温度を測ってみた。すると弟のところだけが他の場所より2℃も低いことが分かった。しかも弟の左側にふすまがあって冷たい風が入ってくるのだ。

そこで姉はある日弟の横にストーブを移動してみた。すると弟は両手でご飯を食べ始めたのだという。それは

(寒い)→(片手で食べる)→(寒くない)→(両手で食べる)

に変化した瞬間だ。本当の原因は”弟の行儀が悪い”からではなくて(それもあるかも知れないけれど)、”寒かったから”左手をコタツに突っ込んでいたのだということが分かったという話である。つまり弟に対して「行儀が悪いから直しなさい」と言っても根本原因の解決にはつながらないのであって、弟にとっての寒い状態を改善することこそが解決への糸口になるという話だ。

「A型だから」「末っ子だから」と言われてもその立場は自分ではどうすることもできない。B型やO形に変えることもできないし長男長女に変更してもらうこともできない。できないことの原因を自分では変えられないことのせいにしても何も解決しない。そしてほとんどの場合、それはできないことの原因ではない。もちろん失敗の言い訳するには便利だ。「自分、不器用な人間っすから」と高倉健さんが言えばみんな納得する。健さんはそのままでもいいかもしれないが、そうでないなら不器用の原因を解決しなければ何も変わらないし先に進まない。

急に激しい運動をしたら翌日に筋肉痛になった。それは筋肉の細胞が破壊されたからだという。確かにそうかもしれない。そうかもしれないがそれは現象を説明しただけに過ぎない。原因は”急な激しい運動”が筋肉痛をもたらしたのだ。だから今後筋肉痛にならないようにするには「二度と激しい運動をしない」か「普段から適度な運動をしておく」などの解決策が考えられる。

学校教育の現場でも平然とこのようなことが行われてきた。「意志が弱い」「本気じゃない」「ヤル気がない」などは今でも普通に言われている。しかし「どうして意志が弱くなっているのか」に思いを至らす人は少ない。その原因は何なのか、どうしてヤル気が出ないのか、どうして本気になれないのか、それを考えることが本当の解決につながるはずなのだ。行動の原因を操作できないパラメータ(末っ子だからなど)のせいにしても無意味なのである。それは教育の現場では一番やってはいけないことだと思う。

最近の通り魔事件や相模原の障がい者殺傷事件、秋葉原の大量殺人事件などでは
(欲求不満)→(他人に八つ当たりをする)
ことが原因だったとマスコミはわかったような報道をしているし、”自称”専門家もそんな話しかしない。しかしその陰には欲求不満になった様々な理由があるはずで、それを解決しなければ再発防止には繋がらないと思うのだ。

欲求不満は原因ではない。原因は仕事に対する報酬が少ないからだったり他の人に比べて楽しい思いができないことだったりする。それが欲求不満をもたらしたのだ。それは自分の行動がもたらした結果だったり理不尽な社会制度だったり様々だろう。それを中心になって方向性を示していくのが政治家や役人のやるべきことではないのだろうか。

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