学ぶことに熱心だった日本人

プライベートで海外旅行に出かけた日本人は名所旧跡、絶景ポイント、博物館や美術館、テーマパークはもとよりレストランやバー・ホテルに至るまで、帰国後使えそうなアイデアがないかと目を皿にして見て歩く。言ってみれば私的視察団だ。それは国内でも大して変わらない。休日の博物館などでは展示などにはおよそ興味があるとも思えない人たちでも一つ一つの展示品を熱心に見て歩き、メモを取り、可能なら写真に収めたりしている。その写真がその後どのように活用されるのかはわからないがとにかく熱心に見て廻る。そしてママは子供に言う。「ちゃんと見ておきなさい!」

そして日本を訪れるガイジンに接したほとんどの日本人も「このガイジンから何が学べるか」という発想をする。日本人は仕事や学校を離れても仕事や生活に役立ちそうなことを学ぶ機会を絶えず求めている。そして大切だと思われることを学ぼうと努力する。長い目で見て有用かもしれないからだ。

それは単なる”勉強”にとどまらない。見ること、触ること、読むこと、体験することなどすべてがその対象になる。それを外国人は「日本人は好奇心が旺盛だ」と評価する。確かにそうかもしれない。例えばインドネシアを旅行する。現地のインドネシア人と話していても”自分を高めよう”という気概はあまり感じられない。やるべきことをきちんとやろうという心構えもあまり感じられない。それはフィリピンでもあまり変わらない。マレーシアに行くと少し良くなり、タイやベトナムでは熱心に話を聞こうとする人も増える。これには民族的、文化的な背景があるのかもしれないがよくわからないしそれが悪いというつもりもない。せかせかしないギスギスしない行動にのんびりした穏やかな気持ちになることすらある。

いずれにしても彼らの生活様式と比べて日本人は何事にも熱心に取り組み、より一層優れた能力を身に付けようと努力する。

スポーツ紙や大人のためのマンガ、いくつかの週刊誌やテレビ番組はあくまで娯楽中心だが、マスメディアですら知識や技能を高めるための企画や番組が数多くある。NHKのEテレ(教育テレビ)の番組には語学教育番組がいくつもある。セサミストリートのような幼児向け番組にとどまらず、英語・中国語・韓国語・フランス語・ドイツ語・スペイン語は日常的に放送されているしNHK総合テレビや民放の番組でも健康やダイエット、グルメ情報番組や旅紀行、歴史情報番組などが盛んに特集を組んでいる。

街に出ればカルチャーセンターで数多くの講座が開かれている。茶道・華道・パソコン・書道・陶芸・水彩画・油絵・料理・ヨガ・マナー教室、外を歩けば柔道・空手・剣道などの道場が立ち並ぶ。いったいこれほどまでに日本人の感情を駆り立てている根源的な物は何なのだろう。何かをしていなければ不安になるから?だけではないような気がする。日本民族がこれまで歩んできた暮らしや文化の中で、常に上を目指していくことが隋・唐や朝鮮半島、西洋から立ち遅れていると感じていた日本が生き残っていくための必要条件だったのではないかと思う。

一時はアメリカに次いでGDPが世界第2位にまでなった日本。追いつけ追い越せ、そうしなければ潰れてしまうという危機感がなくなった日本。クールジャパンと言われて有頂天になっている日本人に昔のハングリーな気持ちがなくなったとしても仕方がない。

飛鳥時代の昔から日本は常に外国に劣等感を抱いていた。21世紀になって長い日本の歴史上初めて「オレたちって凄くね?」と思い始めた。もうコンプレックスを感じる必要なんてないと思い始めたとたんに「常に学び続けなければ負けてしまう」という危機感をなくした。

日本全体が「ゆとり時代」になってあまりギスギスギラギラしなくなったのは悪くないのではないかと思っているが、向上心まで捨ててしまう必要はないんじゃないかと思っている。

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