できぬ辛抱

「できぬ辛抱するが辛抱」

耐えられないようなことさえ我慢をすることこそ本当の我慢なのだ、と言っている。「我慢しろ」というのは簡単だし「我慢すること」さえある意味では簡単だ。一時的に自分の煩悩を捨てて無になればいいのだ(と思う)。違うのかもしれないが今のボクにとっての我慢はその程度だ。しかしその我慢さえ限界になり「もう駄目だ」と思った時にそれを抑え込んですることが本当の我慢だと言っている。

以前にここのコラムに「無駄な我慢などするに値しない」と書いたことがある。だが今は、我慢することが無駄なのか無駄ではないのかを自分なりに判断しなければいけないのではないかと思っている。もちろん意味のない我慢は今でもあるしそんなことを我慢する価値はない。しかし我慢のすべてが無駄ではないということだ。生活のすべてが快適になりお金さえ出せば我慢を避けて通ることは難しいことではない。だからといって一切我慢することなくのんべんだらりと過ごしていては身体どころか精神まで弛んでしまうのではないかと思っている。

家から数十メートルのコンビニへ車に乗って出かける、常にエスカレーターやエレベーターを使う、電車やバスを使わずタクシーや自家用車を使う、辞書を引かずネットで調べて終わりにする、などなど現代の生活は便利で快適だ。家に居ながらにして買い物は届けてくれるし家事代行サービスもある。嫌なことはお金で解決できる。だからといって嫌なことをまったくやらないで生きることには疑問を感じている。

くだらないと思うかもしれないが我慢するうちに心は強くなる。やりたいことだけをやっているのとは訳が違う。やりたくないことを心を奮い立たせて行動するのだ。水は高いところから低い方へ流れる。人も苦しいことから楽な方へ流れる。いつも楽な道を選んでいるとやがて我慢することを忘れる。我慢を忘れて楽なことばかりやっていればほんの少しの嫌なことにさえ我慢できなくなる。我慢できなくなった人は我儘になる。誰もがやっている事さえ我慢しなくなる。

果てしなく永遠に続く我慢は耐えられないが、限りある我慢ならやってやれないことはない。あと1年、あと半年、あと3か月、あと1か月、あと1週間、あと3日、あと1日、今日で終わり。カウントダウンすることで希望が持てるようになる。あと10キロ、あと1キロ、あと100m、あと一歩、終わり! 終わった後にはほんの少しの爽快感が得られるかもしれない。今まで縛られていたものから解き放たれる解放感だ。我慢することで体も心も鍛えられると思っている。

今の時代は我慢しなさすぎではないのか。快適なことは心地いいことだが我慢があってこその快適なのではないかと思う。我慢の後は何倍も清々しい。我慢したものだけが感じる充実感だ。

「そんなものいらない」というなら好きにすればいい。本人の勝手だ。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください