デジタル・タトゥ

インターネットが一般に広まってから四半世紀。最初の頃は通信環境が悪かったこともあって一部のアーリーアダプターだけが精力的に活用したり開発したりしていたが、日本でも10年ほど前にスマホが発売されたのをきっかけにほとんどの人の間で爆発的に普及した。”ネット掲示板”と呼ばれていたWebサイトごとのコミニュケーションツールもSNSへと発展し、GAFA(Google,Amazon,Facebook,Apple)やTwitterなどの台頭もあって多くの個人情報もネット上に流れるようになった。街角に防犯カメラを設置するという話があった時に「個人情報の流出が…」「プライバシーの侵害が…」と大騒ぎしていた日本人の変わり身の早さには驚かされる。

個人情報は消極的に公開することを許諾することを含めて自分が自ら公開する場合と、自分の意思に反して誰かによって公開されてしまう場合の2種類がある。その両方に共通しているのが「一度広まってしまった情報は2度と消すことができない」ということだ。ネット黎明期からこの世界に触れていた人には常識なのだが、ネット上の情報は何らかの形で個人の端末にダウンロードされてから表示される。それはスマホのアプリであれパソコンのWebブラウザであれ同じことだ。ダウンロードされた情報は様々なテクノロジーで保存することもできるし、意図的にコピーすることだって可能だ。一旦流出してしまった情報はいうなれば世界的に丸見えになって保存されてしまう。

「デジタル・タトゥ」という言葉がニュース報道でも使われるようになった。つまりネット上に残された消すことのできない過去のことだ。例えば自分が自らどこかのサイトに投稿した画像やコメント・メッセージは一瞬でサイトのサーバに保存され、世界中に配信される。世界中のコンピュータがその情報のコピーを作って保存する。仮に大元のメッセージが削除されたとしてもそのコピーはすでに世界中に拡散されて保存されているというわけだ。

「人の噂も七十五日」という諺がある。あることが世間の人々の間で噂になったとしても、3ヶ月もすれば噂は消えてなくなるという格言だった。それは、人は飽きっぽく忘れやすい生き物だという前提に立っている。しかし今のネットをはじめとするコンピュータ社会は”忘れる”ことをしない。それどころかそのコピーを作って意識的にも無意識的にも物凄い速度で増殖していく。

一旦種を蒔いて増殖を始めてしまった情報を根絶やしにすることは不可能だ。多くの病原体である細菌やウイルスとは比べものにならない早さで拡散する。完全に根絶したつもりでもどこかでそのコピーは脈々と生き続け、何かのきっかけで再び息を吹き返して増殖を始める。

今でも政治家の”失言”や”不適切発言”は後を絶たない。それはある意味、本人の本心が吐露されたものなのだから仕方がないし、今まで隠して政治活動を行ってきたことの方が責められるべきことなのだろうと思う。彼ら彼女らはあくまで公人なのだから。

しかし一人の人間個人なら忘れたい記憶の一つや二つはあるだろう。逆にまったく秘密のない人間など個人的にはツマラナイようにも感じる。ところがそのことが世間に公になって誰もが知るところとなってしまうことにはある種の恐怖を感じる。ましてや根拠のないウソや間違った情報ならなおさらだ。そのことでどこの誰ともわからない人から誤解を受けたり非難されることになったなら、精神的にも社会的にも途方もないダメージを受けることにもなりかねない。

ネット社会の拡大とともに、本人の意思とは関係なく間違った情報やウソを意図的に拡散しようとする人は確実に増えている。こういった問題を議論する時には必ず「言論の自由」という問題が出てくる。それを制限することはいつの時代にも独裁者の大いなる武器になってきたし今の時代でも同じだ。

それでも私たちはこの問題に立ち向かっていくことを諦めてはいけないと思う。自由な発言や表現を確保しつつウソや間違いを排除していくにはまた新たなテクノロジーが必要になるだろう。そしてそれが願わくば独裁者や悪人に使われないことを祈りたい。

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