自分でやってみればいいのに

自分が出来ないことを強要する人を見かけることがある。いや必ずしも本人ができる必要はない。誰か他にやっている人がいることを示すことができればそれでもいい。しかし強要していることが本当に可能なのかが分からない状況でただ「やれ!」と言われてもやらされる方は「それ、ホントに出来るの?」と半信半疑になってしまうこともある。誰かが実際にやっているところを見せられれば、「あの人もやっている」という実例を目の当たりにして「やってできないことはない」というモチベーションに繋がる。

どうして自分にも出来ないことを他人に強要するのだろう。その人ができると思っていないのに命令するのだとしたらそれは嫌がらせだ。もっともスポーツなどの世界で指導者たちが、アスリートたちの才能を見込んだ上での指示ならわからないでもない。自分にはできなくとも、才能のある人がそれを可能にできるような道筋を示すことができるのならそれは素晴らしいことだ。それでもその道筋を示すには、どうしたらできるのかを論理的に説明出来なければいけない。

ボクはたまにギターを弄っている。中学高校時代にちょっとだけバンドをやっていたことがあり、その時にフォークギターやエレキギターを弾いていた。高校を卒業してからは楽器は友達にあげてしまったりして縁はなくなってしまったのだが、数年前から思い出してネットオークションで中古のギターを買って触っている。

ボクが学生だった頃にはフォークやロックが盛んだったが、高校の卒業近くになると「クロスオーバー」というジャンルが人気を得るようになっていた。クロスオーバーとはジャズとロックを混ぜ合わせたという意味でその後は「フュージョン」などと呼ばれるインストゥルメンタルのジャンルになった。日本でも高中正義などのスタジオミュージシャンがバンドを組んで一世を風靡した。彼らはギターに限らずスタジオレコーディングのプロフェッショナルなのでその演奏テクニックはどれも超絶技巧でとてもアマチュアのボクらの手が届くものではなかった。

ところがボクの高校時代の同級生にヤマシタ君とタカノ君という二人がいた。タカノは教室でボクの前の席でヤマシタは左隣の席だった。クラスではいつもバカをやっているただの悪友だったが、実はこの二人はその世界では有名なエレキやベースの超絶技巧の使い手だったことが分かった。ある日の放課後、珍しく教室で1人ギターを弾くヤマシタの姿があった。それとなく聴いているとそれは海外の有名なギタリストの曲のソロパートのリフだった。ボクもその曲は知っていたが、それはレコーディングスタジオで重ね撮りなどの技術を使って超絶技巧を再現しているのだと思っていた。ところがヤマシタはボクの目の前で事も無げにそのソロを弾きこなしているのだ。ボクは悶絶した。

「百聞は一見に如かず」とはよく言ったものだ。目の前で現実を見せられれば信じるしかない。

押尾コータローというギタリストがいる。1人でアコースティックギターを弾くミュージシャンだ。アルバムを聴くとこれまた重ね撮りではないかと思われるとても一人で演奏しているとは思えない曲が流れてくる。ボクが高校生だった頃にはやっと家庭用ビデオが普及し始めたとはいえテレビで放送されなければ録画することもできない時代だった。特にロックやフュージョンのコンサートのビデオなどはほとんど手に入らず、コンサートに行っても遥か遠いステージの上で彼らが何をしているのかを認識することは不可能だった。

ところが今ではビデオどころかYouTubeなどの動画サイトにはその手の動画が溢れており、そのテクニックも目の当たりにすることができる。押尾コータローもライブハウスに行けば目の前で彼の超絶技巧のテクニックを見ることができる。それを初めて生で見た時にアルバムの録音が決して嘘でないことを知った。彼は1本のギターで5~6本のギターを演奏しているかのような音を奏でていたのだ。

目の前で事実を見せられることには限りない説得力がある。それは音楽であれマジックであれ見る人に同じような感動を与える。逆に口だけでいくら偉そうなことを言っても事実を見せられなければ説得力はない。だから少しでもホンモノを見せられるように研鑽を積んでいかなければいけないと思う。何もやる前から「オレには無理」と諦めてしまったら何もできない。養老孟子さんの言う「バカの壁」だ。

その後、(ボクにとっては)血の滲むような練習をしたつもりだが、ボクのギターの腕は一向に上達することなく青春時代を終えた。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください