考え続ける人

最近は自動運転車やAI(人工知能)の話題がニュースに上ることが多い。自動運転もメーカーや地域によっては実用化が近いレベルにまで進歩しているというし、AIも単純に「人間の仕事が奪われる」というような議論から一歩進んで、「どこの部分を人間の生活に役立てられるか」といった議論がなされるようになってきた。しかし物理的に見ればAIもコンピュータの一種である。今までのコンピュータは人間の作ったプログラムに沿って高速な計算を行えるところが優れていたが、AIは言ってみれば「学習するコンピュータ」ともいえる。従来型のコンピュータはプログラムを実行するという点で見れば、次第に進歩して賢くなっていくということはない。進歩しないコンピュータだ。

AIも含めてコンピュータは、あるデータがインプット(入力)されるとそれによって処理を始めて結果が出ると処理を終わる。一度やった処理について後から思い出して反省し、自分でもう一度やり直してみるということはない。しかし人間は、一つのことについて結果が出て結論が出たとしても、後から思い出して反省してみたりすることもある。いや反省だけではない。外部からのインプットがなくても、自らが自発的にいろいろと考えたり創造することをいつもやっている。だからこそ何も考えない「無の境地」になるには修業が必要だったりするのだ。

そういう意味で何の刺激も受けていないのに常に何かを考えている事こそ、コンピュータやAIと人間が最も違っているところなのではないかと思っている。何かに悩んでいる人がいる。頭の中では目の前にある問題について何らかの解決策を見つけ出そうとして考え続ける。同じような”問題”をAIに与えて考えさせることはできる。そのロジックの違いはあるにせよ、人もAIも、かかる時間は違っても、早晩何らかの結論は出すだろう。ここまでは双方に機能的な違いはない。しかし人はそのことを考え終わってからも同じ問題や全く違うことについて何かを考え続けるのだ。

ただ現代人にはのべつ幕なしに新しいインプットが入ってくる。スマホでSNSを見たりテレビや好きな動画を見ることもインプットだ。そういう意味ではコンピュータやAIが常に処理を続けている状態と変わりがない。そう思うと仕事や趣味や家族のことも何もかも忘れ去ってインプットを一切遮断し、短時間であっても無の境地になることはもっとも人間的な行為なのではないかと思ったりするのだ。

世の中は長い休みの真っ最中だ。せっかくの休みだからとせっせと遊びまわるのもいいが、ほんの少しの時間でも意図的に何もせず、仕事のことも忘れてインプットをなくした状態を作ってみることも人間的な時間を取り戻すことに繋がるような気がしている。

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