男のプライド

他の人には簡単にできることが自分にはどうしてもできないことがある。どうしてできないんだろうと考えるが、いくら考えてもその原因すらつかめないこともある。これが”女の子にモテるかどうか”などということなら、容姿だったり、身長だったり、通っている学校の名前だったり、勤めている会社の名前だったり、給料の額だったりと、割と簡単に思い当たるフシを見つけられる。でも歌が上手かったり、楽器が演奏できたり、似顔絵が上手だったりというような、いわゆる”才能”のようなものだとすぐに諦めてしまいがちだ。

才能は生まれながらに持っているもので、凡人が後からいくら頑張っても到底及びもつかないものだと一般に考えられているから、仮に自分にその才能がなかったとしても取り立てて悔しいと思うこともない。生まれながらの能力なら自分の責任ではない。せいぜいコンプレックスを感じるくらいだ。短躯のブ男は大人になってからいくら頑張っても二枚目の長身にはなれない。だから現状を受け入れて生きていくしか他にないわけだ。

しかしできない原因が目に見えないものだったりすると、どうしてアイツに出来ることが俺にはできないのか、と悔しい思いをする。そして”男のプライド”が傷つくのだ。まったく男とはなんとも面倒くさい生き物である。

「プライド」ってなんだろう。辞書を見ると自尊心、誇り、自分を誇らしく思う心などと書いてある。つまりプライドが傷つくとは、自分のことを”凄い”、”偉い”と思っていたのに実は大したことがなかったということが分かった時に感じる気持ちなのだ。自分のことを自分自身が実力以上に高く評価していた結果、実際の実力を目の当たりにしてしょげてしまうというわけだ。

初めから自分を低く評価している人は恐らくプライドが傷つくことは少ないに違いない。自分にはできないと思っていたことが、いざやってみると人並みにはできるということが分かったら、傷つくどころか嬉しさ100倍だ。でも人は、特に男は、何の確証もないのに自分を高く評価しがちだ。街でもこんな言葉をよく耳にする。
「オレって凄くね?」
それが大したことなかったり他の人にとっては当たり前のことでも、身の回りに自分以上の実力を持った人間がいなければ、その中では十分に優位なオスである。だからオスは自分より実力のある他のオスの集団には積極的に加わろうとしない。そんなことをしたら自分が劣位になってしまう。常にプライドを傷つけられながら生きていかなければならない。

人にはなぜプライドがあるのだろう。女より男の方がことプライドに関しては圧倒的に強いような気がする。そんなものなくても生きていけるのになぜか人は誰でも多かれ少なかれプライドを持っている。人は、いや特に生物的に戦うことを宿命づけられたオスには、クソのようなプライドでも持っていなければ生き残っていくことすらできなかったのかもしれない。「あの、ボク弱いですから、負けますから」なんて言っているオスについていくメスもいないだろうから。

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