飛び抜けろ!

先日、深夜のテレビ番組で歌手のさだまさしさんが最近の働き改革について「”仕事=金”という考え方だけになってしまうと働くことが苦痛になってしまうのではないか」という話をしていた。こんなに働いたのにこれだけしか貰えないという考えが「自分はもっと貰ってもいいのに、苦しいばかりだ」という方向に向かってしまうような気がするというのである。もっとも誰もが、というよりほとんどの人はカネのために”仕方なく”仕事をしているのであって、「仕事が楽しい」「仕事が好きでたまらない」という人はたぶんマイノリティである。その上で「自分は今の仕事ができて幸せだ」と言うのだ。

だから「(仕事を)休みたい」とは思わないという。もちろん体や精神がシンドイと思うことはあるが仕事をしたくないとは思わないのだという。休暇を取ってどこかに出掛けていても仕事のことは頭から離れないという。それは仕事に縛られて頭から離れないのではなく、仕事のことを考えないことに耐えられないらしい。その場にゲストとして来ていたお笑い芸人の友近さんも同じことを話していた。心から自分の仕事が好きであり、仕事をしていない自分を想像できないという。それが本当なら人生は確かに楽しいものに違いない。

彼や彼女は一流のミュージシャンであり一流の芸人の座を手にしている。だからこそそう思えるのではないかとも思う。他の誰にもできないことをやることのできる能力があるからこそ自分の仕事に誇りを持って好きでいられるのではないかということだ。一方で、誰にでもできることというのはそのことだけで著しい活躍はできないということだ。誰でもできる、ということは誰もが上達して飛び抜けられるということだ。その結果は全員がほとんど横並びで誰も飛び抜けていないことになる。つまりその感情は一部のエリートにだけ与えられた優れた能力を持ち、平凡の域を超えた一部の人にだけ味わうことのできる感情ではないのかということだ。

しかし会社勤めを辞めて数年が過ぎた今になって思うのは、「飛び抜けることの出来た人だけが味わえる感情ではない」のではないかということだ。サラリーマンをやって給料を貰っていた時は、朝、会社に行くのが億劫だった。もちろん行かなければ給料が貰えないから定時に出社するし与えられた仕事もする。しかしその仕事が楽しくて仕方なかったかといえば決してそんなことはない。終業時間は常に待ち遠しかったし残業なんてやりたくなかった。早く仕事を終えて帰りたかった。仕事は与えられたからやるのであって、やらなければいけないからやるのだ。もちろん楽しいと思える仕事もあったが、休みの日にまでその仕事をしたくて仕方がないということはなかった。だって休みの日には給料など出ないのだ。

しかし遊びは楽しい。給料が出ないどころかお金を払ってまで遊ぶ。だから「仕事が楽しい」という人は仕事が趣味なのかもしれない。もちろん生きていくためにはいくばくかの稼ぎは必要だ。しかし「8時間働いたから5万円貰います」という考え方はしないように思う。なぜ仕事をするのかと問われれば「仕事が楽しいからです」と答えるのではないだろうか。それは普通の人になぜ遊ぶのですかと訊けば「楽しいからです」と答えるのと同じだ。

たとえ自分自身の仕事が楽しくて仕方がなかったとしても、他のヤツより飛び抜けていた方がもっと楽しいのではないかと思う。飛び抜けたければ他のヤツができないことをやるしかない。誰でもできることはみんなができるのだ。飛び抜けるのは難しい。それならば他の誰にもできないことにチャレンジするしかない。一部の努力したものにしかできないことを目指すしかない。幸い仕事は楽しいのだ。努力することは苦痛ではない。働きたくて仕方がないのなら少しでも高みを目指そう。その方が飛び抜けるための競争率は圧倒的に下がる。

人は誰でも楽な道を行こうとする。それは仕事が楽しくないからだ。仕事が楽しいならラクをしようとしないことだ。ラクな道を選ばず、困難な道で努力すれば必ず報われる。

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