『予想通りに不合理』

学校の数学で方程式の勉強をするときに代数を使った経験は誰でもあるだろう。たぶん中学生や高校生くらいの頃の数学だったと思う。
a=b や y=(x+3)(x-2)
のような式だ。a=bかつb=cならa=cであるというような三段論法の定理としてもお馴染みだ。ついでに言えば”x=3ならxは3と同じ”だということになる。ここまでは納得してもらえるだろうか。いや、バカにしているわけではない。しかし中には「xは”文字”で3は”数字”なんだから同じ訳ないじゃないか」という人もいる。a=bだって「aとbは違う字なんだから同じはずがない」と言う。「a=bだというならbはいらないじゃないか」という。aだけあればいいという。うーん、それも一理ある。

a=bというとき人は頭の中で「aはbと同じ値なんだ」と思い込む。論理的な思考だ。しかしaとbは字の形が違うんだから同じではないというのはイメージ的な思考だ。パッと見て違うのだから同じではないと思うのも自然だ。しかしボクは最近までそういう考え方をしたことがなかった。学校では子供の頃から”論理的な思考”ばかりを教える。論理的に考えることがいいことでパッと見て感覚的に判断することは良くないことだと教える。そんな教育を20年近く受けてきた上に、卒業して仕事を始めてもあらゆる場面で論理的な考え方をすることが求められる。日本という国はそうやって戦後の高度成長を支えてきた。

『予想通りに不合理』という本がある。人は何かの選択をするときにはその合理性(給料がいいとかコストパフォーマンスとか)に基づいて判断をしていると思っている。しかしAという仕事の方がラクで給料がいいとわかっていてもBという仕事の方がやりたいからBをやる、という人もいる。労働に対してその対価として報酬を支払う。普通のことだ。

しかしクリスマスの夜、家に家族が全員集まったパーティーで数々の美味しい料理を楽しんだ後、あるいは彼女のアパートで心づくしの手料理を食べた後、お母さんにあるいは彼女に「今日のこの日のためにあなたが注いでくれた愛情に私はいくらお支払いすればいいでしょうか?」と口に出したらどうだろう。その場は思い切り白けてしまうばかりか来年からは一人ぼっちのクリスマスを寂しく過ごすことになるだろう。

付き合っているカップルがいる。もう付き合い始めて半年になる。デートやプレゼントに掛けたお金も随分になる。しかし彼女はキスすることを許してくれない。だからといって男が彼女に向かって「今までにいくらかかってると思ってるんだ、キスくらいさせろ!」と言ったとしたらどうだろう。恐らく彼女は男に向かって「ケダモノ!」と捨て台詞を吐いてその場を立ち去るだろう。

社会的にはやったことに対する報酬を求めることは普通だ。しかし時と場合によっては自分がやったことに対して対価を受け取ることでやる気をなくしてしまうこともある。テレビCMのセリフではないが「Priceless」なこともあるのだ。

人は自分が考えている以上に理不尽な考えを持った存在だ。誰だって損するより得する方がいいと思っている、のかと思えば「そんな汚ねぇことできるか!」というということもある。ズルいことをして人を騙しても自分が得をするならそれが一番だ、と考えるのはある意味で合理的だ。しかし自分が金銭的に損をするとしても「アイツのためだからやってやるか」と思うのも人だ。理屈ではない。義理と人情であり、愛であり、友情であり、倫理観だ。「あなたがそれを選ぶわけ」は決して合理性だけではない。そしてそれはやる前からおそらく自分も十分に予想している事であり周りの人もかなりの確率でわかっていることなのだ。



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