観察と予想は最大の武器だ

定点観測という言葉を聞いたことがあるだろう。同じ場所で長い時間の間の移り変わりを記録したものだ。それはとても地味な作業なのですぐに陽の目を見ることはない。しかし、一人の人間が生まれた瞬間から毎年の誕生日に亡くなるときまで撮られ続けた80年あまりにもわたる一連の写真を見た時には鳥肌が立つような思いがした。”人の一生の記録”とまでは言えない。その一生の間に起きた様々な出来事や喜怒哀楽までを記録したわけではないが、それは人間の生れおちてから老いて朽ちるまでの成長の記録として素晴らしい価値を持っていると思う。

街の移り変わりを記録した写真を見る機会もある。しかしそれはたまたま同じ場所や同じシチュエーションで撮影された写真を並べてみただけのことが多い。その多くが意図してその変化の過程を記録したものではない。もちろん誰がどのような意図で記録したものであっても結果が残されているのならそれなりの価値はあると思う。しかし意図されずに偶然残された記録には土台となる条件に統一性がないのは言うまでもない。先述の人の一生を記録した写真では身長を示すメジャーの横に立った全裸の人間の姿がある。そのすべてを並べるとそれはさながらパラパラ漫画のようでもある。そしてその記録を続けられた背景には”運”というものも大きく関わっている。

記録を続けるにはその対象となるものがある程度永続的でなければならない。しかし何事も先のことは分からない。人間はどんな運命でいつ死んでしまうかわからない。街を記録してきた場所が突然取り壊されてなくなってしまうかもしれない。30年40年と続けた記録も突然終わりを余儀なくされてしまうこともある。しかし記録を最初からやり直すことはできない。40年間の記録には取り戻すことのできない40年という時間がかかっているのだ。途切れてしまった記録が無意味だとは言わない。しかし記録している本人が(一人ではないにせよ)納得できてこそのコンプリート(完成)なのだと思う。

観察すること、観察を続けることで次第に見えてくる将来や未来がある。かつて学校の数学の時間に”数列”というものを習った記憶はないだろうか。一定の規則に従って並べられた数字の並びを見て”ある数字の次に来る数字”が予想できるような規則性を探すものだ。それは奇数の並びであったり素数の並びだったりする。その規則性が見つかった時にその先を予想することができる。これは私たちも普段の生活の中で意識することなく自然にやっていることだ。コンサートホールや列車の指定席を探すときにはアルファベットや数字の並びを見て自分の席を予想して探す。それが出来なければホール内の、列車内の全部の席の番号を確認しなければならなくなる。余談だがコンピュータシステムのデータベースというものはそのような”総当たり”をして目的のものを見つける非常に非効率な仕組みだ。

予想することは生きていく上でも大切な行動だ。道を歩いているときに向こうからもこちらに向かって歩いてくる人がいる。狭い道ならお互いが反対側に避けなければぶつかってしまう。相手の動きを見て相手とは反対側へ進路を変える。しかしこちらが避けた方にわざわざ向きを変えてくる人がいる。それが嫌がらせでないのなら相手はこちらの動きを見ていない。案の定スマホを手にして画面に熱中している。たまに顔を上げるがほとんど前を見ていない。見ていないから状況の変化に気が付かない。だからこちらが進路を変えて避けようとしている事にも気付かない。一瞬でも目を離せば状況は刻々と変化している。変化に対応できないのは観察が足りずに予想ができていないからだ。

経済誌などを見ても誰もが「素早い変化に対応できなければビジネスは破綻する」とあちこちで書いている。変化に対応できなければ自滅することは現代社会の常識だ。しかしその常識を分かっていない人は多い。年寄りに限らず老若男女誰でも見ていない人はいつでも何も見ていない。そんな簡単な当たり前のことをやらないから失敗する。子供の頃には「ちゃんと前を見て歩きなさい」と言われなかっただろうか。成功のカギは決して難しいことではない。当たり前のことを確実にやり続けること、常に観察して予想することに他ならない。船も見張りを怠れば難破して朽ち果てる。

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