親指と人差し指

先日、包丁を洗っているときに右手の人差し指を刃の角に引っ掛けてちょっと切ってしまった。その日の夜、お風呂上りに左手の親指を見ると爪の先端が欠けているのを見つけた。幸いどちらも痛みはわずかだったのだが濡れたり他のものに触れたりすると違和感があったので絆創膏を巻いておいた。指にケガをして絆創膏を巻くと大して痛くはなくても”使ってはいけない指”ということになり濡らさないようにしたり何かを持ったり掴んだりするときにも代わりに他の指を使うようになる。巻いた絆創膏が取れないようにする小さな配慮だ。

何かをつまんだり掴もうとすると親指と人差し指または親指と他の4本の指を使おうとするのが自然だ。もちろん親指と中指や薬指でもつまめないことはないが普通は親指に一番近い人差し指を使うことが多い。だから片手の、特に利き手の親指と人差し指をケガしてしまったりすると不便極まりない。普段はどの指を使っているかなど考えもしないがいざ使えなくなってしまった時に初めてその不便さに気づくのだ。また手の指の神経や腱は複雑に関係していたり小指と薬指だけが独立していたりするらしいので動きによっては思う通りに動かすことも難しい。

いずれにしても手を使って何らかの作業をしようとすると親指を使わないでも可能なことは限られてしまう。その点、他の4本の指なら他の指で代用して何とかこなせることもある。親指には代用できないような役割が多いのでこの指が使えないということになると日常生活に大きな影響が出ることになる。

仕事や日常生活の中でも”代わりがいない”とか”あの人しかできない”などという作業や業務があると突発的な事態が起きた時に抜き差しならない状況になりかねない。それが人材不足などのやむを得ない事情であるのならまだ少しの猶予も考えられるが「自分の編み出した技だから誰にも教えない」などという格闘家気取りのサラリーマンになると手に負えない。自分だけがやれることを残しておけば組織としても簡単に首を切ったり左遷することがやりにくくなる。だから”秘技”として誰にも教えずに一人占めにしておくのだ。そんなことをされてしまえばその人がやむを得ない事情で休んだ日には業務を廻すことすら難しくなる。しかしそれを長い間許してきたのは組織だ。

何事にもウイークポイントというものが出来がちだ。いわゆる”アキレス腱”である。物流のアキレス腱や非正規雇用のアキレス腱、介護福祉のアキレス腱などと今の社会にはアキレス腱が溢れている。そこが断たれたり機能不全を起こせば全体が止まってしまう。東日本大震災や昨年の北海道地震でも大規模な停電が起こってその影響は全国規模に及んだ。電気がないことで冷暖房が止まりヨーグルトが作れなくなってスーパーの棚から消えたりなどと予想外の影響が出た。もちろんヨーグルトばかりではなくダンボールが不足して配送ができなくなったり冷凍食品がダメになってしまったりもした。もっともそもそもの原因は原子力発電所で全電源が喪失して原発事故を起こしてしまったことが大きな原因である。それにしてもまさか電気を作っている発電所が停電するとは思わなかったし停電すると事故になるとは寝耳に水の話だった。

何か不測の事態が起きた時のために次善の用意しておく。大人なら普通に考えることだと思う。失敗した時のことを全く考えないような計画を立てれば一つの失敗ですべてが水泡に帰してしまいかねない。一か八かで一つの可能性に賭けて「失敗したらそれまでだ」という覚悟を決めているときでなければ何らかのリスク回避策を考えておくことは大人の常識だろう。

ロボコン(ロボットコンテスト)という競技会がある。高等専門学校生(高専)や大学生が集まって自作のロボットを参加させて決められた課題をクリアするというコンテストだ。毎回、全国から予選を勝ち上がってきた学校ごとのチームが決勝大会でしのぎを削っている。それぞれの学校やチームごとに与えられた課題をクリアするためのロボットの設計思想や仕組みに様々な工夫があって見る者を飽きさせない。中でも面白いのが各チームのロボットが上手く動かない時のトラブル対応だ。

どこのチームもかなり高度な仕組みでロボットを制御しているのだが制作期間や予算、技術力の違いなどから作ったロボットが毎回確実に動作するとは限らない。会場までの運搬途中に壊れてしまったり競技中に何かとぶつかってしまったり、そもそも故障して思い通りに動かなかったりと波乱万丈だ。一つの部品や動作がアキレス腱になっているとそこが弱点になってすべての作戦が崩壊することがある。だから1つが壊れても最悪は片肺飛行で最後まで競技を続けていかれるような工夫も必要だ。そしてウイークポイントはできるだけ末梢部に押しやっておくべきで根本的な動作部分の致命的な欠点や欠陥は必ず取り除いておかなければならない。たとえそのために基本性能などで多少の妥協を許さざるを得なくなったとしてもだ。

1つのトラブルですべてがダメになって諦めても仕方ないのか、少しの部分には目をつぶって最悪でもコンプリートすることが一番と考えるのかの違いだ。そのあたりが高専生と大学生またはロボコンではないが世界中の企業が参加するロボット競技会との大きな違いである。高専生から大学生、企業チームになると次第に年齢層が高くなる。比べてみるとやはり若い人たちには”一発屋”的でチャレンジングな開発思想のロボットが多い。それが大学生、社会人になると”リカバリー”という設計思想がだんだんと濃くなってくるのだ。もちろん予算などの制約が違うので単純に比較することはできないが壊れて動かなくなったロボットを前に「こんなはずじゃなかった」と涙を流す学生のなんと多いことか。そしてやはり最後まで勝ち残るのは確実性の高いロボットを制作したチームなのだ。

スポーツなどでは特に完走することが第一に求められる。完走することでもっと深刻なケガをして選手生命を危うくするようなことがないのならまずは完走することを第一に考えなければ仕方がない。完走してなんぼだ。途中までどんなに優秀な成績だったとしても最後まで走り切れずにリタイアしてしまえば成績すら残らない。完走するために少しペースを落として成績が下がってしまったとしても完走すれば成績は残る。成績は実績だ。参加賞だけもらっても仕方がない。

いくら頑張っても最後まで走り切れなければ0点だ。学校のテストと違って大人の社会には”中間点”はない。だから完走するために次善の策やB案を用意しておくのが大人のたしなみだとも言える。大人になればなるほど失敗することが許されなくなる。学生のうちは笑って泣いて済ませられることも大人になれば人生を左右することもある。だからより慎重になる。

しかし慎重になるということは”一か八かの冒険をする”ことを避けて通ることにもなる。稀ではあるが冒険が活路を見出すこともあり、それが人類文明の発展に寄与したこともないわけではない。だから冒険することが許される状況であるならできる限り冒険することも大切だ。

手堅い大人のやり方ばかり見させられるのは退屈だ。いつも安全な道ばかり石橋を叩いて渡っていてもツマラナイ。だからロボコンも高専ロボコンが一番面白い。だって彼ら彼女らはまだ若いのだから。

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