私の彼は左利き

白昼夢を見たことはないだろうか。例えば街中の雑踏を歩いているとき、ふとした拍子に突然「どうしてここを歩いているんだろう」などと感じることだ。自分でもどういうことなのかわからないが、突然夢から覚めた時のように雑踏を歩いている自分に気がつく。もちろんその日は普通に家を出て電車に乗って銀座までやってきて路地を普通に歩いていたのだが、それまでのことがあたかも夢だったかのように「どうしてオレは今ここを歩いているんだろう」などと思うのだ。言うまでもなく電車に乗って出かけてきたのも現実だし今しがた夢から覚めたように感じているのも現実だ。これを「白昼夢」というのならボクは今までの人生で何百回何千回と白昼夢を見たことになる。それは子供の頃から度々経験してきたことだが誰にも話したことはない。もしかしたら他の人にもそのような経験はあるのだろうか。

右脳と左脳の話はどこかで聞いたことがあると思う。左脳は理屈を司り右脳は感情を司るなどという話だ。脳科学のことはよくわからないがボクが小学生の頃から言われ始めたように思う。右脳と左脳の働きが解明され始めたのは1960年代後半のことだという。それまでは論理的な思考は左脳が受け持っていて人は言語野で考えているので主に使われているのは左脳であり、脳の右半分はほとんど使われていないというのが定説だった。だから世間話でも「人間は脳の半分しか使っていない」などと言われていた。

そのせいかどうかはよくわからないが西洋の言語をみてみると「右手(right-hand)」には「良い」という意味がある一方で「左手(left-hand)」には「悪い」という意味がある。ご存知のように脳から出た神経は体に向かう途中で左右がクロスして入れ替わり、人の右半身は左脳が支配し、左半身は右脳が支配する領域になっている。このような表現は英語に限らずラテン語やフランス語でも見られる。もっとも西洋の言語はラテン語やギリシャ語を起源とする言葉が多いので当然のことなのだがアングロサクソン語にも同様の意味があるのには驚いた。

例えばラテン語で「右」を表す”dexter”には「技能」や「器用さ」という意味があり、フランス語の”droit”には「良い」や「正しい」、アングロサクソン語の”riht”にも「正しい」という意味がある。もちろん英語の”right”も「正しい」や「正義」という意味だ。一方でラテン語で「左」を意味する”sinister”は「不吉な」とか「裏切る」「悪い」であり、フランス語で「左」を意味する”gauche”には「不器用な」の意味があって英語で「のろまな」を意味する”gawky”の語源になっている。また英語の”left”はアングロサクソン語の”lyft”を語源としているがそれには「弱い」や「価値のない」という意味がある。

つまり割と古くから人間の知性を司るのは「右手」(=左脳)であるという考え方が主流だったということだ。もっともこれは人間の9割が右利きであるというマジョリティ意識からきているものかもしれないので「右利きは優れた人間だ」と思いたい願望から出たものかもしれない。

しかし近年になって悪者にされていた右脳にも役割が負わされていることがわかってきた。人には論理的に説明できない部分がある。かっこいいデザインや素敵な風景は人の好みによって違うし、どこがかっこいいと思うのか何が素敵なのかを論理的に説明することは難しい。何となく”かっこいい”と思い何となく”素敵だ”と思うのであって理屈で他の人を納得させられるものではない。レオナルド・ダ・ヴィンチもミケランジェロも左利きだったと言われており、過去の偉大な芸術家や音楽家には多くの左利きがいる。今でも人間の多くが右利きだといわれる中で偉大な芸術家に占める左利きの割合は驚くほど多いのだという。

右脳には合理的だったり論理的な思考をする能力が低いのだという。時間の概念や前後の因果関係を把握する能力が左脳に比べて劣っており、現代社会をうまく渡り歩いていく力に乏しい。しかしだからといってすぐに右脳は不要だと言ったり役に立たないというのは的外れだろう。もちろん現代社会では能率や生産性ばかりが大きくクローズアップされることが多いが、一方で美しさや優しさ、かっこいい、可愛いと感じる感情があってこそ人生は豊かになっていくものだと思う。

右脳と左脳はその両方があって人としての精神のバランスが保たれている。しかし右脳が「役立たず」だとか「価値がない」と思われてきたのは疑いのない事実だ。それは全く時間的な関連もなく因果関係もない不合理なことだがそんなことを気にもしないで我が道を行く。偉人とは、右脳とはそもそもそういうものかもしれない。

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