心の弾力

褒められて怒る人はいない。おだてられて不機嫌になる人はいない。誰でもバカにされたり非難されることは好きではない。反対されるより肯定されていた方が心は穏やかでいられる。とても単純だが人とはそういうものだ。しかしおだてられるとすぐに自分の自慢話を始めたり他人の欠点をあげつらう人を時々見かける。褒められて有頂天になるという気持ちもわかる。「あなたは優れた人だ」と言われれば優れている証拠を見せようとするのもある意味で自然なことだ。ところが自分の自慢をするということが時として”相手を下に見ている”と受け取られてしまうことがある。それでは人間関係を阻害しかねない。

「先輩、仕事が早いっすね」
「バカ、おめーがおせーんだよ!」

など普段の会話にも言い方ひとつでコミニュケーションが滑らかになるかギクシャクするかの分かれ目があるように思う。

「おっそっか、サンキュー。お前もがんばれよ」

と感謝や相手を思いやる気持ちがあればお互いが気持ちよくなれる。腹を立てたり嫌な気持ちになったり相手を恨んだりすることは自分にとっても相手にとってもいいことは一つもない。あからさまなおべっかやお世辞が相手の心に響いて沁み込んでいくことはないが、ちょっとした気遣いや相手を思いやる気持ちを持つことは自分にとって損になるどころかお互いをハッピーにすることもできる。

「力になれることがあれば応援するからな」

と言われて「余計なお世話だ」と思う人は少ないし、もし自分がそう思ってしまうとしたらかなり損して人生を生きているのではないだろうか。

心の持ち方のすべては自分に裁量権がある。腹を立てるのも笑うのもすべては自分が決めることができる。他人に「腹を立てろ!」と言われても自分がそうしようとしない限りは腹を立てることはない。その時の場の雰囲気や気分に流されて怒ったり非難することはすべて自分で決めることができる。腹を立てることも感謝することも、どちらを選ぶのも自分で決めることができるのなら幸せで有意義な人生を送れた方がみんなが幸せになれるような気がする。

もちろん思ってもいないことに迎合して共感してみせたりすれば自分の心にウソをつくことになる。自分にウソをつけば自分の心は少なからず波立つ。余計なことを考え、悩む必要もないことに心を乱せば自分自身も相手も周りのすべての人を不幸な気持ちにさせてしまうこともある。相手が喜ぶからといっていつも流されてばかりいては自分をなくしてしまう。心の中にしっかりとした柱を立て、自分の考えを持つことが何よりも大切であり、その上で滑らかなコミニュケーションを実現することは口に出すほんのちょっとの言葉の違いに過ぎない。否定されたくないと自分が感じるのと同じように相手だって否定されたいとは思わない。同じことを伝えるのにほんのちょっとしたボタンの掛け違いが最終的な結果を大きく左右することもある。

否定されるということはせっかく持っているモチベーションを下げてしまうことがある。前向きに「やろう!」と思っていたことなのに、どこか別の直接の関係ないことをネガティブに言われただけで意欲が萎んでしまうこともある。特に子供や若いうちは柔軟な心を持っているがゆえに抵抗力が弱い。ちょっと否定されたことを全人格を否定されたように感じてヤル気を削がれてしまうこともある。だからといって「強い心を持て」と言ったところで急に心が強くなるわけではない。多くの経験や人間関係の中で少しずつ心は太く強く弾力性を持つようになる。それはある程度の年齢までは緩やかに伸びていくがいつまでも成長していくわけではない。人によって違いはあるがやがて心の成長は止まりそこから先は弾力性が失われて硬直し始める。

あらゆることの上達にモチベーションの維持は不可欠だ。ヤル気をなくしてしまえば何もしたいと思わなくなる。以前に勤めていた職場の同僚に年配の女性がいた。その人は「常に恋をしていなさい」というのが口癖だった。残念なことにしばらくして病を得て他界されてしまったが、常に心を柔軟に瑞々しく保つことが心の老化を抑える秘訣なのだと言いたかったのかもしれない。

歳を重ねれば心も体も固く硬直してくる。自分が意識して心の柔軟体操を続けることが長く心の弾力を保ち続ける唯一の方法なのだろう。

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