古い教え

友人のBLOGで「秘すれば花」という言葉を知った。室町時代前期に能楽を大成した世阿弥の書いた「風姿花伝」にある言葉だ。実際には世阿弥の父である観阿弥の教えを聞いた息子の世阿弥が書き残したのだという。初めて聞いた言葉だったがちょっと興味を持ったので、作家の渡辺淳一さんが書いた解説書を読んでみることにした。室町時代の考え方と今の考え方は大きく変わっているだろうから、もしかしたら時代錯誤な内容かと恐る恐る読み始めてみたがそこには現代の考え方とも通ずる、というより何ら変わらない数々の教えと思想が書かれていた。

まず観阿弥は、能楽の道を学ばせるなら7歳から始めなさい、と言っている。恐らく人間が生まれてから6歳くらいまでは人間として生きていくための基本的な能力と人格を作る時期なので、それが終わって多少の分別ができてくるのが7歳くらいなのだろう。それまでは人間としてもまだ出来損ないであるから「学ぶ」ということをさせるには7歳からが良いということだ。奇しくも今の日本や各国の初等教育が始まるのもこの頃である。しかしそれを守るなのなら始めるのは早ければ早い方がいいというわけだ。

また、子供のうちから大人がとやかく口出しすべきではない、とも言っている。子供が何かを始めると大人はすぐに口出ししたがる。「それは違う」「こうやった方がうまくいく」などと指示をしたがるが、初めのうち子供は自分が面白いとか楽しいからそれをやっているだけで”上手くやろう”と思っているわけではない。たとえそのやり方が効率的ではないやり方だったとしても子供は楽しいからやっているだけだ。そしてそこから人間が生きていくために必要で大切な経験をしている。その時に大人が横から余計な口出しをして”大人にとっては効率的なやり方”を無理やり子供にやらせようとすれば、せっかく子供がやる気になっているのに大人の余計な口出しで子供のやる気を削いでしまうことになる。まず大切なのは上手なやり方でなくてもいいから子供自身が楽しんでやろうとすることだ、と書いている。

最近では幼児期から音楽教育や英語教育などと触れ合う機会のある子どもも多い。そうした教室でもまず最初は「子供が楽しいと感じられるようにすること」を最優先するのだという。”教育”をするのはもっと後の段階だ。子供自身が「楽しい」と思い「好きだ」と思えば自分から興味を持って”深掘り”したいと思うこともあるだろう。それが教育段階でのモチベーションというものになる。決して子供は大人が押し付けたものを好きになるわけではない。上手くできれば褒めてあげ、上手くできなくても「どうしてだろうね?」と共感することは子供が多くのことに興味を持つきっかけになる。

また「時分の花」という言葉もある。これは”時分”、つまり時を得た一時的な美しさという意味だ。人は若い時には男も女も輝いて美しく力強い時期がある。しかし男でも女でも若さゆえの美しさや強さは真の実力ではないという意味だ。時分の花はやがて萎れて枯れてしまう。時を得た若さゆえの美しさや力強さは一時のものに過ぎず、かりそめのものに過ぎないというのだ。それでも人として真に美しくなるためには”時分の花”に奢ることなく、その美しさを失わないように努力し続けることが肝心だと言っている。

「風姿花伝」はまだ読み始めたばかりでこの先にも冒頭にお話しした「秘すれば花」などの興味深い話も出てくる。仕事だからという言い訳のもとにマーケティングや心理学の本ばかりを読んでいるのではなく昔の人の考え方に触れてみるのも楽しく興味深いもので、これから先を読み進めていくのを楽しみにしている。そういうことを「温故知新」というのかな?

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