嫌甘家

カフェに行くと砂糖やポーション、ガムシロップなどが1か所にまとめて置かれていることが多い。昔の喫茶店ではコーヒーなどを注文するとそれらと一緒に付いてきたものだがセルフサービスの普及とともに各自が必要な分を取ってくる方式に変わっていった。もっとも昭和の時代に「スジャータ」がなかった頃には冷やした生クリームを小さなポットに入れて出していたので砂糖とクリームのセルフサービスは難しかったのかもしれない。それは砂糖やミルクが必要ない人にまでサービスをしなければならず無駄といえば無駄なことではあった。

なぜか男はカッコつけたいときにはコーヒーを”ブラックで”頼む傾向がある。コーヒーは男っぽいデカダンな飲み物で紅茶はどちらかというと優しい女性っぽいというイメージがあるのはボクだけかもしれないが、かつての煙草がそうだったようにコーヒーには自らを体制におもねない反骨的な”男らしい”人間であるかのように見せる無骨なイメージがあるのだ。するとなぜか”甘いものは女の飲み物”という幼少期の昭和の刷り込みから「甘いコーヒーを飲むのは男らしくない」という短絡的な思想に繋がってしまうのである。今となってはセクハラもいいところだ。

昔、喫茶店やファミレスでコーヒーと一緒に個包装のコーヒーシュガーが出されていた頃は一袋が6gだった。ボクは甘いコーヒーも好きなので隠れてコソコソと砂糖を入れることも多かったのだが、さすがに1袋を全部入れると甘すぎた。だから袋の真ん中辺りを指でつまんで半分だけ入れていた。もちろんファミレスなどではコーヒーをお替りすると残りの砂糖を使うこともあったが、2杯目ともなると甘いコーヒーに飽きてしまって残りの砂糖は使わずじまいということも多かった。そしてしばらくするとコーヒーの砂糖はいつの間にか一袋3gが標準になった。恐らく思うに6g全部を使い切る人は少数派で、多くの人が袋の半分近くを残していたのではないかと思う。折しも日本で”第一次ダイエットブーム”が始まったころである。ならば最初から量を半分にしておいて甘くして飲みたい人だけ2本でも3本でも使えばいいじゃないかということになったのではないかと思う。

昔の日本人は砂糖が大好きだった。コーヒーに砂糖をドバドバと入れたがる大人もたくさんいた。甘いコーヒーが好きなのか、タダなんだから使わなきゃ損と思っていたのかどうかは分からない。それが世間が成人病やダイエットに煩くなったのと期を同じくして日本での砂糖の消費量は減っていったように思う。国際砂糖機関の統計を見ても2002年から2016年までの間に砂糖の消費量は20%近くも減少している。

「砂糖は悪だ」という中ピ連の主張もあって(ウソです)世の中には砂糖ではない人工甘味料が出回るようになる。それ以前にもお菓子などでは安価な「チクロ」や「サッカリン」などの人工甘味料が使われていたが、チクロは発がん性を指摘されて昭和44年には全面的に使用が禁止された。その後、アスパルテームやキシリトールの台頭もあって今ではカロリー控えめな甘味料も数多く出回っている。

ところが今でもコーヒーや紅茶に砂糖を山のように入れる人がいる一方で、砂糖をまったく入れない人も増えた。糖分が嫌なのかと思えば無糖の人工甘味料さえも入れない。「砂糖は毒だ」「塩分は毒だ」「油は毒だ」と世間が騒ぎすぎたせいで日本人は甘いものから遠ざかってしまったのではないだろうか。たぶん長い間、砂糖を使わないでいるうちに本当に甘いものが嫌いになってしまったのだろう。一方で海外では人工甘味料をたっぷり使った清涼飲料水はいまだに大人気だ。スペインやイタリア、トルコ、ギリシャの街角カフェでも黙って座ればダイエットコークが出てくるほどである(ウソです)。しかしそれほどまでに街を歩く多くの人の手にはダイエットコークのボトルが握られている。

日本のお菓子はすべからく甘さ控えめになった。いや昔から砂糖が貴重だった日本では甘さの少ないお菓子が多かった。しかし終戦以降、砂糖が大量に輸入されたりするようになるとそれまでは食べたくても食べられなかった甘い食べ物への欲求が抑えられなくなってしまったのだろう。それが平成の時代に入ってその反動ともいうべき「嫌甘家」を大量に生み出してしまったに違いない。

今でも西洋のお菓子は一口食べただけでも甘すぎて気分が悪くなるほどだ。これは日本人の特性なのだろうか。関東育ちのボクにとっては九州や四国の醤油さえも甘すぎてちょっと気持ちが悪いが、現地の人は関東の醤油を「しょっぱい」という。これは単に育ってきた環境と味覚の違いだけなのだろうか。一方で外国人は日本のお菓子を”tasteless”だという。「味がしない」というのだ。最近は一部の和食ブーム、日本ブームもあってtastelessな日本のお菓子に対する評価も変わってきたようだが、味覚の好みを捨てて健康志向だけに突っ走る日本人は人間の根源的な食の欲求まで捨ててしまえるのだろうか。

しかし今でも「塩っぱいもの」や「脂っぽいもの」「甘いもの」を無条件に「旨い!」と思い罪悪感を感じながらも隠れてコソコソと食い漁ってしまうのは、やっぱり悪いことなのだろうか。

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