AIと神様

最近では身の回りの多くの家電製品などにもAIが搭載されるようになった。それが本当の意味でのAIなのかどうかは別にしてかつて電気炊飯器にIHが搭載されたようにAIが搭載されているという。AIが発達してくるとそのうちに家電製品はもちろんのこと椅子やテーブル、食器棚のような家具にまでAIが搭載されるような時代がやってくるのかもしれない。例えば「座りたいな」と思えば他の部屋から勝手にやって来る椅子や「机の上が散らかってきたな」と思ったら不必要なものを片付けてくれる机、よく使う食器を取り出しやすい位置に移動させたりシチュエーションによって使う食器をリコメンドしてくれる食器棚など、あたかも友達のように付き合える家具が現れるかもしれない。

先日、テレビ番組で「日本人はAIに人格を感じてうまく付き合っていかれる国民性かもしれない」という話をしていた。古く日本人はあらゆるものに神様が宿っていると考えてきた。火の神様、竈の神様、水の神様、雨の神様、太陽の神様、トイレの神様などなど。お正月におせち料理を作るのは竈の神様に感謝して休んでいただくため、正月三が日は火を使わないようにするためだと言われている。トイレの便器にAIが搭載されても「トイレの神様」のようにうまく付き合っていかれるのではないだろうか。何にでも神様が宿っておりその神様たちとうまく付き合っていこうとしてきた日本人にとって、AIに神様のような人格(?!)を感じたとしても何ら不思議ではない。スマホの神様、本の神様、冷蔵庫の神様、時計の神様、何がいても不思議とは感じない多様性を持っている人が日本人には多いのではないかと思っている。

その点でキリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教を信奉する人たちはどうなのだろうか。神はただ一人と信じていればAIの如きを神とすることはできないような気もするがホントのところはどうなのかよくわからない。それでも一人の人格を持っているような存在が現れた時にはどんな対応をするのだろうか。ペット?家畜?家族?
そうか、家族として付き合うのなら何ら問題はなさそうな気がする。

家族として暮らしの中にAIが加わるのは、人間にはない能力を持った存在としては有意義なのだろう。しかし現在の進化過程としては万能のAIが理想というわけではなさそうだ。それぞれの専門分野を持ったAIが限りなく乱立する方向に向かって行くことはほぼ間違いない。もちろんそのAIを管理するAIも出てくるに違いないが、今の人間社会でのゴタゴタにさえうんざりしている上に、これ以上複雑で面倒くさそうな要素が加わることはどうなのだろうか。

物理学や化学で統一理論や元素の成り立ちなどを調べていった時に、構成要素があまりにもたくさん見つかってくると「これはさらに細かく分解できるはずだ」と考える。例えば化学の周期律表を眺めてみると100種類以上の元素が並んでいる。そんな時に考えるのは「この種類の多さはもっと細かい粒の組み合わせでできているからだ」と考える。実際、その後に電子や原子核が発見された。原子核はさらに分解されて陽子や中性子などから構成されていることが分かっている。その陽子は…。数十年前の研究ではあらゆるものは4種類のクォークで出来上がっていると言われていたが現在の定説ではどうなっているのだろう。

どんなことでも複雑になりすぎると必ず制御が効かなくなる。部族が増え人種が増えて制御が効かなくなったから”国家”という枠組みを作って単純化しようとした。しかしいまだに多くの国家の中身を見てみれば複雑すぎて争いの絶えない状況が渦巻いている。その上に国家でさえ数が増えすぎて国家同士も諍いが絶えない。人類は誕生以来、個人がまとまって部族を作り部族がまとまって国家を作ってきた。一方、科学の分野では複雑なものを分割して単純化して本質を突き止めようとしている。アプローチはまったく逆だ。

どちらが正しいのか、いや正解などないのかもしれないがこれからも複雑化する未来にはどんな暮らしが待っているのだろうか。

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