備えあれば憂いなし

「天災は忘れた頃にやってくる」とは物理学者・寺田寅彦氏の言葉だ。最近の日本ではまだ片付けも終わっていないうちに次の災害がやって来ることが多く息つく暇もないほどだ。幸いボクの住んでいる神奈川県はここ数年を思い返しても大きな災害は少なく、近所では数年前に台風の大波を食らって海岸沿いの有料道路が海に崩落した程度である。復旧工事には数年がかかっているが人的被害もなく過ごしている。関東地方では子供の頃から「また関東大震災がやって来る」と事あるごとに言われ続け、小学生の頃にはこれから30年の間には間違いなく大地震が来ると言われていた。あれから45年、未だにその地震が来ないのは幸いだが、逆に「いつ来てもおかしくない」と言われ続けていると感覚も麻痺してくるのである。

「ヒトは忘れる動物」と言われている。特に生きていけないほど辛いことがあってもそれを忘れることができるからその後の人生を生きていかれるのだと聞いたことがある。もちろんいいことや嬉しいことはあえて忘れる必要もないのだが、時間が経つに連れて同じように忘れていく。

ボクが今でも忘れられないのは阪神淡路大震災と東日本大震災だ。関東地方にいたボクは神戸の地震は経験していない。その日ちょうど仕事が休みだったボクは朝のニュースで、橋桁ごと倒壊した高速道路と高速道路から落ちかかったスキーバスの映像を食い入る様に見つめた。「エライことが起こった」と思った。

東日本大震災の時は職場のあった東京のビルの4階にいた。足元がふらついて歩けないほどの揺れに「ついに来た」と思った。子供の頃から言われ続けてきた関東大震災が来たと思ったのだった。オフィスのデスクに戻るとテレビCMを制作している隣の部署にあった十数台のモニターテレビが一斉に緊急ニュースを報じていた。震源は東北地方だという。その前年にも南米の地震による津波被害のあった東北地方のことだからすぐに津波のことが頭をよぎった。これも子供の頃からリアス式海岸の三陸地方は昔から大きな津波被害を受けてきたという話を思い出したからだった。

案の定、数分後には緊急ニュースが大津波警報の発令を知らせていた。しかしその時のボクは津波といえば7年前に起きたインド洋大津波の断片的な映像しか見たことがなかった。日本で起こった津波の映像といえば30年以上前の新潟地震の際のこれまたわずかな断片的な映像しか見たことがなかった。地震による津波といえば大体が数センチから10センチ程度のことがほとんどだったので「大津波」をイメージすることができなかった。しかしその約1時間後、同じテレビは真っ黒な逆巻くように津波が仙台平野のビニールハウスを飲み込んでいく光景を映し出していた。空港では飛行機や自動車が流されていく光景を映し出していた。これはエライことが起こっていると思った。

ご存知のようにその後の首都圏は交通が完全に麻痺した。道路は車で埋め尽くされて1ミリも動けない状態だった。歩道も歩行者で大混乱した。ボクは60キロ離れた自宅に向かって歩き始めた。途中のコンビニでまだ残っていたおにぎりを2個とペットボトルの水を買って歩き続けた。この時に思い出したのは、かつて中学生の頃に読んだ松本清張氏の「神と野獣の日」という小説のワンシーンだ。小説の設定は津波ではなく同盟国から間違って発射された核ミサイル5発が東京に向かって飛んでくるというもので、その時の大混乱した東京の街の様子を描写していた。その光景がふと頭をよぎったのだった。都市が大混乱するということはこういうことなのかと思い知った。

人はすぐに忘れる。そして反省もしないから何度も痛い目に遭っている。でも反省ばかりしていては先に進めない。だから反省して備えをしたら前に進むのだ。「備えあれば憂いなし」とはよく言われているが憂いがなくなるのは備えたからだ。何もしていなければ状況は何も変わっていない。阪神淡路大震災で崩壊した高速道路を見て誰もが「何とかしなければ」と思った。東京ではその後数年にわたって高速道路や鉄道、橋の補強工事が行われた。そのためかどうかは分からないが東北の地震の時には東京の高速道路や鉄道は大きな被害を受けなかった。備えをしたからかもしれない。あの時に神戸で地震が起きていなかったら東北の地震で東京はメチャメチャになっていたかもしれない。備えは忘れる前にすぐに始めなければ意味がない。天災は忘れた頃にやって来るのである。

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