カネの亡者

バブル景気の頃、日本では世界の有名な絵画を全国の美術館や自治体が買い漁っていた。バブルが崩壊してほとんどの作品は売り払われてしまったが、まだいくつかは日本に残っているという。当時ボクが思ったのは日本人に限らず「買う人はその絵が好きなのだろうか?」ということだった。何億円も出して買う絵である。その金額に見合うほどその絵が好きなのだろうかということだ。オークションで手に入れた時にはニュースでも騒がれたが売り払った時には話題にもならなかった。きっと金のためだけに売ったからだろう。絵に対する愛着などなかったのかもしれない。

莫大な金を出して世界的に有名な絵画を買っている人は、その絵が好きだとか芸術的に素晴らしいなんてことはこれっぽっちも思っていない。投資だ。買った絵が値上がりして儲けられるかということしか考えていない。でなければ買った絵をどこにも飾らず自分で鑑賞することもなく、完全空調管理の金庫の奥に預けておくなんてことはしないはずだ。絵は観て愛でてこそその価値がある。金塊のように金庫にしまっているだけではその価値はゼロに等しい。しかしほとんどの人は自分が買った値段よりも値上がりして儲けられるかどうかだけに興味があるのだ。

株券も同じことだ。株の売り買いで儲けている人も一定数はいる。もちろん誰もが儲けられるわけではない。株価の動向を見て上がるか下がるか、ニュースを見て上がるか下がるか、今売るか買うか、そんなことだけを四六時中考えながらパソコンの前に座っている人だけが儲けられる。別にそれを否定はしない。お金を儲けることが人並み外れて好きなのだろうから合法的な範囲の中で好きにすればいいと思う。

そもそもの株式投資とは、個人の資産だけでは大規模な事業をすることができないからと、多くの人から資金をあずかって工場を作り、機械を買い、人を雇い、原料を買って物を作り、それを売って儲かったお金を最初に投資してくれた人に還元しようというコンセプトで始まった。誰だって何の保証もないのに他人に金を貸すのは嫌だろう。「オレに貸してくれたら倍にして返す」というとかなり胡散臭く聞こえるが要するにそういうことだ。ただ貸す相手は誰でもいいという訳にはいかない。悪いやつに貸して社会を裏切るような行為に手を貸すのは嫌だ。できれば自分の貸したお金が人類社会のために役立ってくれるならいうことはない、というのが理想だ。

しかし瞬間的に株の売買をしている人がそんなことを考えているわけがない。ただひたすら儲けることだけを考えている。その会社の事業の社会的意義なんて考えてはいない。そうでなければ株価が上がったり下がったりするたびに売ったり買ったりを節操なく繰り返すはずがない。そんなに儲けてどうするのかと思うが、それを元手にもっと儲けたいに違いない。寂しい人生だなと思うが本人は好きでやっているのだから大きなお世話だろう。

ボクを含めて絵画に興味がないという人や絵のことはわからないという人が絵の良さを実感できる方法があるという。それは画廊でも美術館であっても、目の前にある絵を観て「もし自分が買うならどの絵をいくらで買うだろう」と思いを馳せて観ることなのだそうだ。自分だったらこの絵よりあっちの絵が欲しいなと、家の中のどこに飾ろうかなどと考えていると自分の好みの絵や画風というものが分かってくるのだという。自分が大金持ちになってお金のことなど心配しなくていい身分の気持ちになって絵を観るととても楽しい気分になるそうである。

そんなボク自身は、子供の頃にお絵かき教室で描いた自分の絵にさえ何の愛着も感じなかったくらいだから情緒も感性も 生まれながらに欠落しているのかもしれない。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください