オレは人の役に立てているのか?

「オレって凄くない?」と天狗になってみたり「やっぱり何もできないダメな人間だ」と自分を卑下したり、気分が浮き沈みすることは時折経験することだ。事実、過去の人生の中で「あのときはどうしてあんなことが出来たんだろう」ということがあったり「何をやっても上手くできた試しがない」と下を向いたこともある。どちらもボクなのだが時々の気分によって前向きになったり後ろ向きになったりする。それにしても客観的に自分のことを見て評価するというのは難しい。

自分の中にいるもうひとりの自分が今のこの自分を見てどう思うかということは、誰もが心の奥底で自分と向き合って語り合う時に感じることだ。ともすれば「自分は絶対に正しい」と思い自分を肯定することにばかり心を奪われてしまうのは人の常である。例えば、あまりにたくさんの指示を一度に出されても自分なら覚えることができない、ということを自分自身が身に沁みて認識できていれば、他の人に指示したりお願いするときにも自分のことを顧みて相手のことを慮る事もできるはずだ。

このような行動を「メタ認知」と呼ぶ。もう一人の自分がいて今の自分の行動を高い位置から眺めていれば、自分が今どうすることがもっとも最適な選択なのかということも考えられるようになる。これは自分が今やっていることにどっぷりとはまり込んで夢中になっているような精神状態では発揮しにくい力だ。その時自分が冷静になれば客観的に考える能力があることが分かっていても相手に「熱くなるなよ」などとバカにされたように言われたことで逆にカッとしてさらに冷静さを欠いてしまうこともある。

専門家は少なくとも一つの能力には抜きん出て秀でており、それを傍から見ている人は「凄い能力を持っているから何でも出来るんだろうな」と思ったりする。災害現場で人命救助に当たるレスキュー隊員や病院の救命救急室で重症患者の処置をするドクター、被災地に行って歌を歌ったり落語を披露して被災者の心を慰める人などそれぞれの能力を発揮して人の役に立っている人たちはたくさんいる。そんな時に自分を振り返ってみても「自分には何が出来るんだろう?いや、何もできない」と惨めな気分を味わう人もいると思う。普段の仕事では伝票を書き、パソコンで入力をし、部下の指導をしたり、企画書を書いたり、プレゼンテーションをしたり、工場で家電製品を作ったりすることが仕事だと、会社の中では仕事をしていても、目立ってすぐに人の役に立つことをする力は何もないように思ってしまう。

でも専門家や特殊な技能で人の役に立ってマスコミで目立った活躍をしている人だってそれ以外のことでは他の人と同じなのだろうと思う。超絶技巧な技術で難しい外科手術をいくつも成功させて何人もの人の命を救ってきた名医だって、家に帰ったら料理も掃除も片付けもできない人で奥さんがいなければ人並みの生活すらままならない人かもしれない。そんな人の奥さんは「私は家のことしかできない」と思っていても実はその”名医”の暮らしを支えて間接的に幾多の人の命を救っているのと同じだ。自分はただのサラリーマンとして働いていているばかりで会社の中では自分にしかできない役割があるとは思っていても、家に帰って町内会の仕事を頼まれても役に立つようなスキルが一つもないことに愕然とすることもある。しかしすべての人がスーパーマンではない。目立つ仕事だけが役に立つ仕事ではない。

商社で働くひとがいなければ外国から輸入されたり生産者が作ったものを店で買うこともできない。荷物を運ぶトラックの運転手がいなければ私達が普段買っているすべてのものは手に入れることができなくなる。電車の運転手がいなければ通勤することすらできなくなる。しかし電車の運転手の特殊技能は電車を運転することであって子供の学校の父母会の役員になっても何の役にも立たないと考えがちだ。そんなことなら習字教室の先生のほうがきれいな字を書くことができて父母会では役に立てるのかもしれない。

しかしすべての人はそれぞれが自分の役割を負って助け合いながら暮らしている。自分を「他には何もできないダメな存在」だと思っていないだろうか。今まで生きて経験してきたことで、仮に単なるサラリーマンだったとしても役に立っていないことなどないのだ。自分の能力は、使い方次第で多くに人にとって大きな力になっていることを自覚しながら自信を持って生きていきたい。と自分に言い聞かせて…。

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