観天望気(かんてんぼうき)

天気予報で明日の天気を見ている。午前中は晴れだが午後から雲が出てきて夜には雨が降るところもあるらしい。レーダーの雨雲予想もそんな予報を裏付けている。いやレーダーの予想などから予報しているのから当然だろう。あくる朝、全天にはどんよりと厚い雲が垂れ込めて今にも雨が降り出しそうな空模様だ。しかしテレビの天気予報は相変わらず清々しい秋晴れの予報を流しながら雲に覆われた東京の空を映し出している。さすがに昔に比べれば天気予報が当たる確率は格段に高くなった。しかし時折こんなトンチンカンな予報を流すこともある。特に秋は天気の移り変わりが早く風や気圧配置も不安定なので予想も難しいのだろう。

かつて中央気象台の台長だった藤原咲平氏(甥に作家の新田次郎がいる)はある日、部下が出した今夜の東京の天気予報を見て言ったという。

「今夜の東京の天気はどうなってる?」
「曇りのち時々雨で雨は明け方まで降り続く予報です」
・・・
「お前は外の天気を見たか?」
「は?」
「外に出て東京の空を見たのか?」
「いえ見ていません」
「満点の星空だぞ」
「観測データを見ることも大切だが実際に現実を見てみることは一番大切なことだ」

いつもは物静かな藤原台長は珍しく声を荒げた。空を見て天気を予想する。「観天望気」とは藤原咲平が常に大切にしていた態度だという。

「自分の目で実際に空を見て空気を感じる」

データだけを過信して頼ることなく常にそのような心構えを忘れてはならないと藤原氏は言いたかったのだろう。「机上の空論」とはよく使う言葉だが実際に現場に自分で出向いて現状を確認することはある意味で重要なことだ。今の時代は本で読む、話を聞く、テレビで見る、インターネットで検索することでも物事の概要をつかむことができる時代になった。特にネット上には玉石混交、無数の情報が溢れている。それらは誰かが見たことなのか調べたことなのかまったくのデマなのかわからない。古くから「百聞は一見にしかず」といわれている。自分で事実を見て確認することは昔から唯一確実で信用できる情報だったのだ。

今の世の中はおびただしい数のセンサーで溢れている。スマホの中だけでもカメラというイメージセンサーやマイクという音声センサー、加速度センサー、気圧センサー、コンパスなどのセンサーが入っている。腕時計型の心拍センサーや血圧計、血糖値計測計、車にはイメージセンサーが内蔵されて自動運転や衝突防止に一役買っている。人間の能力だけではどうにも正確にわからなかったデータを測り記録し分析できる世の中になった。それらを見て人や動物の健康状態を類推することができるので健康診断などでも客観的な基準として重視されている。

もちろんこれらの数値を見て食生活を改善したり運動不足を解消するなどのアクションを起こすことは大切なことだ。ところがデータばかりに囚われすぎて検診の前だけお酒を控えたり普段は食べていないものを食べてみたりして改善を図ろうとする人はあとを絶たない。データは大切だがここでいちばん大切なのは末永く健康でいることだ。どんなにデータの値が良くても実際に不健康であるならそれは不健康なのだ。検診の結果、どこにも異常が見つからなかったとしても体力が落ちていつも風邪をひいていたりすぐに疲れて歩けなくなってしまうようでは仕方がないのである。

「木を見て森を見ず」と言われるのは些細なことばかりにとらわれて全体の状況を把握できない状態だ。全体を良くしようとして部分最適ばかりに精を出すのは業務効率化でも陥りやすい落とし穴なのである。

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