新語・流行語

そろそろ今年も「新語・流行語大賞」の時期である。この催しはそもそも1984年から当時話題になっていた「現代用語の基礎知識」に収録されている用語を元に選出されるようになったと聞く。以前にはなかなか面白い企画だと思っていたがだんだんとマスコミや各業界方面からの横やりが入るようになったと見えて、最近では「ただの売名行為じゃないの?」と疑いたくなるような企画に成り下がってしまった。今年は「ジタハラ」なんて言葉もノミネートされている。時短ハラスメントの略だということだが正直なところ少なくともボクは今ネットで調べて初めて知った言葉だ。「ご飯論法」などはどこかのライターが勝手に考えただけでまったく流通していない。少なくとも流行語ではないし一般的ですらない。「議員センセー論法」の方がまだ意味が通じやすい。主催者の独りよがりな無理矢理感は否めない。

今までの生活で普通に使っていた言葉で十分に表現できることを新語・流行語が出てきたからといって急に使い出すことは、少なくともボクはない。もし使うとすれば何かの意図があってのことだ。それはその言葉だけが持っている”軽薄感”だったり”皮肉感”だったりする。今年ノミネートされている言葉の中では「首相案件」などはそれに近い。少なくともボクはそうだ。わざとカタカナを使う場合もある。

文章を書く時、同じ言葉を漢字にするか送り仮名だけをひらがなやカタカナにするか全部をカタカナやひらがなにするかはその前後の字の並びにも左右されるが、その言葉で何を表現したいのかに、いや読む人に何を感じて欲しいのかよって書き分けている。そういう意味で意図的だ。単に物事を茶化したいだけのときもあればもっと真剣に考えるべきだと思うときもある。その時々によって軽薄な表現になったりふざけた言い回しになったりする。これがどこまで相手に伝わっているのかは大いに疑問だが自分の中のルールではそういうことになっている。

閑話休題。
今までの言葉ではどうにもしっくりとこないということが新語・流行語でピッタリと表現できるならそれは素晴らしいことだと思う。でもそんなことはめったにあることではない。

例えばもう相当に古い話だが「ヤバい」という言葉がある。ボクらの世代では”危ない”ことや物事が”行き詰まった状況”のときの心情を表して「ヤバい」を使っていたが、今の若い世代(もう若くもない世代も)”凄い!”や”めっちゃ好み!”と感じるときの表現に「ヤバい」を使う。この2つは表していることがまったく逆だったりするので、それを話している人の年代や(会話の中やテレビなら)風体を見て「どっちかなぁ~?」と考え込むこともしばしばだ。もっとも「ヤバい」なんて表現を使うのはどうでもいい状況のことが多いので実際にはスルーしてしまうことのほうが多い。

今年ノミネートされている言葉の中から選ぶとすれば「ボーッと生きてんじゃねぇよ!」などはいい線いっていると思う。これはNHKの娯楽番組の中で連発される決め台詞なのだがテレビを離れた一般生活の中でも十分に通用するセリフだ。もっともこれが「新語か?」と言われるとどうなんだろうか。

言葉はコミニュケーション手段であるから多くの人にその意味が共有されていることに一番の価値がある。以前に「トリプルスリー」や「神ってる」という言葉があった。ボクにはプロ野球にはまったく興味がないので何のことだかわからなかったがプロ野球ファンの間では話題になっていたらしい。しかし日本には少なくない一定数のプロ野球ファンがいるとはいえ”専門用語”のような言葉を”新語”や”流行語”として広く一般に発表するのは主催者の見識が疑われるだけのように感じている。言葉は広く一般的なものとなって初めて「言葉」としての市民権が得られるのだ。市民権が得られなければそれは「専門用語」でしかない。どちらかといえば「隠語」に近い存在だ。

年末になると1年を総括するように「今年の~」があちこちで流行りだす。来年の春には新元号になる事もあって今年は「平成の~」も多く発表されることだろう。マーケティングとしては「〇〇最後の~」「今だけ!」のセリフはキャッチーで多くの人に効果がある”市民権”を得た言葉だが、文字を扱う専門家(自称も含めて)にはインテリらしく(笑)カネや権力ばかりに流されずにもう少し落ち着いて物事を見る目を養ってもらいたいものである。

なんだかまた「ご飯論法」な記事になってしまった。

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