慕われれば嬉しい

池の鯉に餌をやる人がいる。アメリカのトランプ大統領も来日した際には安倍首相と並んで鯉に餌をやっていた。あまりにも粗暴な態度で餌を池にぶちまけたので周囲の失笑を買っていたのはご愛嬌だ。池に餌を撒けば鯉が寄ってくるのは皆さんも経験があるだろう。池の鯉に限らず神社の境内でポップコーンを撒けば鳩が集まってくるし奈良公園の鹿だって「鹿せんべい」を持っている人のところに集中して来る。

多くの人は動物に餌をやるのが好きだ。動物はほぼ本能で生きているので餌があればそれを食べることが最優先になる。我先を争って餌のあるところを目指す。結果として餌をくれる人が人気者になるわけだ。もっともそんなことは言われるまでもなく誰だって知っている。ではなぜ人は動物に餌をやりたがるのだろう。

これまでにも何度か書いたが、人は他人より優れているところがあれば自慢したがるものだ。それはとりもなおさず他人よりも自分のほうが勝っていることの直接的な証明になるからに他ならない。自分のほうが勝っていることの証明には足が速い、力が強いなど体力的に優れていることや知識を豊富に持ってること、財産をたくさん持っていること、権力を握っていることなどいろいろある。そんな中で”人気がある”ということも大きな要因の一つだ。

学校のクラスの中で男女問わず常にたくさんの人に囲まれている人は人気がある人だ。それは勉強を教えてくれるからということもあるだろうし単にイケメンで手足が長くてカッコいいからということもあるだろう。いずれにせよ多くの人を引きつけるということだけで一つの魅力であり他の人に勝っていると言うことはできる。

相手が人でも動物でも自分を慕ってみんなが集まってきてくれるのは嬉しいものだ。しかし自分の周りに人を集めるためになりふり構わないやり方をしてもその効果は一時的なものに過ぎない。政治家も選挙の前になれば一時金などの名目でおカネを”バラまく”戦法に出たりする。人は基本的に「自分ファースト」なので自分が得をすることは大好きだし得をさせてくれる人も大好きになってその人にすり寄っていく。しかし一時金は一度もらってしまえばそれっきりで今後は得することもない。お金持ちにタカっても相手が”騙された”事に気づけばそれまでだ。継続的に人気を維持することはなかなか難しい。

以前、瀬戸内海にある通称「ウサギ島」に行ったことがある。しまなみ海道のとある島からフェリーに乗ってその島に到着すると島中が野生のウサギで溢れかえっていた。旧日本軍の毒ガス工場があったというその島も今はウサギの楽園になって多くの観光客を集めている。島ではウサギの餌を売っていないので餌やりをしたい人はあらかじめ餌を持参してフェリーに乗る。島では既に港周辺で多くのウサギが見られる。観光客は我先にとウサギに餌をやり始める。

しかししばらくするとウサギたちの集まり方が鈍くなってくる。そう、もうお腹が一杯になってきたのだ。しかしウサギは島中どこにでもいるので港から離れたところに行けばまだまだ腹ペコのウサギがゴマンといる。いつまでもウサギたちの人気者でいたければ港を離れて島中を歩きまわればいい。かく言うボクもその一人になった。

比較的山奥に住むウサギたちは普段から観光客が与える餌の恩恵にあずかっていないせいかいつまでも食欲が衰える様子がない。しかし1時間ほどで手持ちの「ウサギの餌」をばらまき終わればもうウサギたちが集まってくることはない。あの人気は当然ボクのものではなくボクが持っていたウサギの餌の力だった。

港に戻るとアナウンスが流れていた。

「港のウサギはもうお腹がいっぱいです」

誰でも自分の周りに人が集まって話しかけてくれるのは嬉しいものだ。それがたとえ自分の持っている餌だけが目当てで集まってくるのだとしても。しかし手持ちの餌がなくなって一人二人と自分のもとを離れていくのを見た時に「あの人気は自分のものではなく自分が持っていた餌のおかげだったんだ」と気づくのだ。自分の人気を保ちたいなら何かを与えつづけることだ。人が気持ちよくいられるような何かを。

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