『ピンピンコロリ』と『ネンネンコロリ』

最近は安倍さんが人生100年と言っているが、最後の20年や30年をベッドの上で寝たきりで過ごすのでは全く意味がないだろう。誰かのお世話になって食べるものも制限され、行きたいところにも行けずやりたいこともできないのでは退屈するばかりだ。「すべてを思い通りに」とはいわないが少しくらいは自分の意志で生きられなくては面白くない、と思う。

国家予算の社会保障費の増大や崩壊しかかっている年金制度を少しは心配しているのか安倍さんは「死ぬまで働け」というけれど、もはやこの先年金はあまりアテにできないし収入がないと食っていけないからそうできるものならそうしたいものである。もっとも今更、早隠居をしてのんべんだらりと過ごしたいと思う人は少ないのではないだろうか。毎日、朝から晩まで会社に入り浸ってヒマを潰してきたオジサンがいきなり家に引きこもってゴロゴロする生活を始めたら気が狂うかもしれない。自分で時間の使い方を決めたことがなかったのだから仕方ないといえば仕方ない。しかし死ぬまで働くといってもそれは「元気で働いていられる」のが大前提だ。

先日、TV番組で健康寿命の特集をしていた。
そこで話題になっていたのが「ピンピンコロリ」と「ネンネンコロリ」である。つまり、

・ピンピンコロリ=健康でピンピンな状態からポックリ
・ネンネンコロリ=病気で寝たきり状態になって介護を受けながら死ぬ

どっちがいい?かと言われればほとんどの健康な人はピンピンコロリのほうがいいと言うだろう。しかしどっちがいいと言っても人の人生は得てして思い通りにならないから不本意でもネンネンコロリになる可能性は十分にある。ならば「健康なうちからヨイヨイにならないように頑張っておこう」というのが昨今の健康ブームの発端だ。足腰を鍛えたり血管がプツッといきにくくなるように食事を制限したり心臓がウッとならないように健康診断で悪そうな兆候を調べて事前に直してもらったりする。もっとも普段からスパスパとタバコを吸っているような人にとってはあまり気にならないことなのだろうが。

しかしもっと老いて不運にも病を得てそろそろダメだとなったときに自分がどう思うのかは正直なところ経験したことがないのでわからない。他人から聞いた話では若い頃から修行を積んできたお坊さんでさえ”いよいよ”となると「まだ死にとおない」と言うのだという。いやすべてのお坊さんがそう言うというのではない。”そう言う”お坊さんもいるという話である。「だから保険に入りましょう」という話になるのは予定調和でちょっとお笑いなのだが、”死にたくない”→”何が何でも治療”→”保険に入ろう!”というのはわかりやすい話だ。しかしそれほどまでにヒトは生への執着というのが強いのだろうか。

話が元に戻ってしまった。
先日、女優の樹木希林さんが亡くなった。ちょっと前までテレビにも出演されていて「私は全身が癌なのよぉ」とあっさりと口に出していたし「私、いつ死んでもおかしくないのよ」と元気そうな口調で話していた。俗世への執着もないように見えた。もっともボクは知り合いでもないしお会いしたこともないので本当のところはわからない。でも中にはそんな人がいてもおかしいことはないだろうと思うのだ。

ヒトだって生き物だから(というかヒトだから?)生への執着は誰にだってある。ただそれが強い人とあまり強くない人がいるだけだ。
もっとも死んだあとのことにも執着のある人はいる。お葬式には誰を呼ぶのか。遺産は誰に相続するのか。誰と一緒にお墓に入るのか、などなど…。自分が死んだ後のことなど残っている人の好きにさせたって自分には一切関係のないことだ。それでも「あの人と同じ墓には入りたくない」などと言ったりする。

死んで骨になってしまえば好き嫌いも何もなくなるのだからどうでもいいことだとボクは思うのだが、そういうことにこだわる人は割と多いらしい。そもそも自分が死んでどこかの墓に入れてもらったとしても誰も墓参りになど来ないかもしれない。

あまねく生き物は生きているうちのことが全てであり死んでしまえばそれまでのことだ。ボクは霊などは信じない方なので成仏するとかしないとかにも興味はない。だからこそせめて生きているうちくらいはピンピンして少しでもやりたいことをやっていたいと思うのだ。

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