飽きているニッポン人

来年には消費税が10%に引き上げられる予定だという。上げるの上げないのと毎回騒がしいが、時期はわからないが結局いつかは上がるのだろう。消費税が上る前にはいわゆる”駆け込み需要”があって一時的に売上は伸びるが増税後はその反動で景気が落ち込むのだという。増税後に買うはずだったものや買わなくてもいいと思っていたものまで増税のために前倒しで売れるのなら全体としては変わらないようにも思うが、ホントのところはどうなんだろう。政府もシンクタンクもすぐにデータを捏造するのでホントのところは結局最後までわからずじまいだ。

アベノミクスは「さらなる経済成長」で日本の経済を再生すると言ってきた。政府や日銀は何年も「金融緩和をすれば投資が増えて景気が良くなる」と言い続けているが話がトンチンカンだ。景気は投資が増えて良くなるわけではない。消費が増えれば投資が増えるというだけの話だ。投資を増やすためには消費を増やさなければならないという根本のところを安倍政権はごまかしている。
終わりの見えない金融緩和をやって投資を増やそうとするのはお門違いもいいところである。いくら新しい機械を買っても作る製品がなければ企業にしてみればただの無駄遣いだ。企業が使うお金は自分のお金であって税金ではない。無駄遣いをすれば損するのは自分なのだ。

しかし無限の経済成長など誰も信じていないのにそれに乗っかったふりをして荒稼ぎしてきた経済界も同罪だ。

無限の経済成長などありえない。経済成長は、消費者が今まで持っていなかったものを新たに欲しくなったときに起こる。洗濯機、トランジスタラジオ、電気冷蔵庫、電子レンジ、家、テレビ、車、パソコン、液晶テレビ、スマホ、etc

無限の経済成長には消費人口の限りない増加が前提だ。一時は無限のように思われていた中国市場も蓋を開けてみれば消費を続けられるのは一部の特権階級や富裕層に限られていて、国民のほとんどは消費拡大には無縁だった。それに日本の高度経済成長と同じように、ある程度モノが行き渡ってしまえばそれ以上に消費が続くことはない。もっとも一時的にはかつての日本がそうだったように”新しいものが欲しい!”という欲求で少しの間は景気も急激に冷え込んでしまうことはないかも知れない。しかし長期的な低落傾向が続くことは必至だ。

未来の生活に憧れて自動化された便利な生活に憧れてそれを自分も手に入れたくて日本人は新しいものを次々に買ってきた。しかし今になってみると、新しく欲しいものなどそんなにない。いやほとんどないと言ってもいい。若い頃は車が欲しかったりギターが欲しかったりした。携帯電話が出れば欲しがりスマホが出れば欲しくなった。
今ではテレビも車もギターもスマホも全部持っているので特に新しいものが欲しいとも思わない。確かに今持っているものよりも高性能なものはたくさん出ている。でも新しくなくても高性能でなくてもいいのである。

かつては若者の憧れだった車も若者の減少でこの先は大して売れるとも思えない。自動運転車はAIの台頭で自分で持つものではなく公共性を持ち始めるような気がする。もう欲しいものなどないのだ。

巷では有名レストランに行列ができたりポケ・スポット(ポケモンゲームのタイムセールのようなものらしい)に人だかりができている。もはや物が欲しいのではない。物ではない何らかを体験したり何かを収集して満足することに足が向く時代だ。神社やお寺の御朱印受付には長い行列が出来ている。手に入れたものから恩恵を受けようと思う人は明らかに減っている。

もはや日本では経済成長の時代は終わった。
経済成長などしなくてもそれなりに満足した生活が送れるようなスキームが鍵になる。最近話題になっている地方への移住や田舎暮らしは一つのヒントになるかも知れない。
しかし不便で過酷な生活はイヤなのだ。緩やかな不便を楽しめるくらいの生活がいい。ネットで頼んだものが翌日に届かなくてもいい。生活必需品でなければ3~4日なくても困らない。今の生活が便利すぎるだけだ。もっとスペックを落とした生活に戻ればいいだけだ。ニッポン人はモノに飽きて新しいスキームを自ら選び出し始めている。

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