蕎麦食いのうんちく

古典落語に出てくる無粋な男に「もりそばをどっぷりとツユに浸して食うやつ」というのがある。粋な江戸っ子てぇもんは蕎麦の先だけをちょっとだけ蕎麦つゆにつけてズズッと一気に啜るもんだという。つゆにどっぷりと浸した蕎麦をクチャクチャと噛んで食べてたら「蕎麦が腐る」なんて言われる。小学生の頃そんな話を聞いてカッコつけて真似してみたことがある。全然味がしなくて美味しくもなんともなかった。以来、食べ物なんてのは粋でなくたって構わないので自分の好きなように食べることにした。

今でも「最初はつゆに浸けないで蕎麦の香りを味わえ」だの「わさびは蕎麦つゆに溶かさず蕎麦に直接乗せて食べるもんだ」とか、ご自慢の「そば道」のうんちくを語る御仁は多い。
放っといてくれ!そんなことくらいオレだって全部やったんだ。全部試した上で今の食べ方が一番美味いとわかったんだ!

そもそも蕎麦の食べ方に正解なんぞあるわけがない。そんなうんちくを語るヤツだって、どこかの作家が気まぐれに小説の中に書いたことを聞きかじりで受け売りしてるに違いない。そんなことを有難がって真似するなんてまっぴら御免である。

オレはもりそばを食べる時には蕎麦つゆにどっぷりと浸けて食べている。どっぷり浸けちゃいけないのは「雷門藪」だけだ。どっぷり浸けたら辛くて食えたもんじゃない。つゆが濃すぎてむせるだけだ。
薬味に辛味大根おろしもうまいがわさびも好きだ。ネギは蕎麦湯に入れるもんだって?知るかそんなこと。大きなお世話だ。オレは蕎麦つゆに薬味を全部入れて食うのが好きだ。茗荷があればそれも入れる。

誰かが大きな声で「これがオレ流!」などと言うとすぐにそれを真似する人間が出てくる。そしていつの間にかうんちくとして語られるようになる。自分は全くそう思っていないのに誰かが大声で言ったことを”正解”だと言わんばかりに吹聴する。作家は蕎麦食いの大家ではない。そもそも蕎麦食いに大家なんているわけがない。すべての人の味覚や好みは違ってアタリマエだ。

パクチーを山盛りにしたサラダが好きだという人がいる。好きなら山盛りにして食べればいいだろう。個人の勝手だ。だが「こんなに美味しいのに~」「騙されたと思って食べてみなよ」と無理に勧めることはない。パクチーが嫌いな人だって一度くらいは口にしたことがあるのだ。そのうえで「好みに合わない」と思ったのだ。今流行ってるからと自分の好みを偽って”無理して”食べることをしないだけなのだ。

本当の粋ってやつはオレ流だ。
でも粋な人はそれを他人に押し付けたりしない。

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