ご利益

古くからお伊勢参りや大山詣で(おおやまもうで)は人気があった。
古事記によれば神代(かみよ)の昔、天照大神(あまてらすおおみかみ)が高天原(たかまがはら)出雲の国に二人の神様をつかわせて地上を治めるように命じられた。その後、神様たちは伊勢や熊野、鹿嶋など全国各地に散らばって各地を治めるようになったと言われている。日本には八百万(やおよろづ)の神様がいる。よくできた神様もいればならず者もいたらしい。このあたりはギリシャ神話に出てくる神様たちと似ていないでもない。

江戸時代に大流行したお伊勢参りや出雲詣でも昭和に入って一時は下火になっていた時期もあったが、最近ではパワースポットなどといわれて全国各地の神社仏閣に若い女性から年配の旅行者まで多くの人が押しかけているという。有名な神社やお寺に行くと御朱印帳を片手にお守りを買い求める(?)人が列を作っている。御朱印をいただくために1時間待ちなどアタリマエだ。大人から子供までポケモン集めのように押しかけるさまはかつての国鉄がやっていたディスカバー・ジャパンのスタンプ集めのようである。

どこでも神社やお寺に行くと”ご利益(ごりやく)”が大いに語られていてそれ専用におみくじも売られていたりする。お参りするからには神様や仏様に何らかの願いを叶えてもらわなければ”損だ”と思うのは多くの人の共通の感情のようである。どうせなら一度のお参りでできるだけたくさんの願いを叶えてもらったほうが効率的でお得である。だから朝から観光バスで乗り付けて、バスを降りるなり足早に参道を歩き、一目散に本殿まで走ってお賽銭を投げ入れて「お願い」だけに異様に時間をかけている人は多く見られる。その願いは人それぞれに違うのだろうが、朝から晩まで他人のお願いを聞き続ける神様や仏様も大変な仕事を選んでしまったのだなと気の毒にもなる。

家内安全や家庭円満、交通安全、良縁や無病息災、商売繁盛などはいつの世でも人気がある。伊勢神宮・内宮の正宮では「ここは神様にお願いをするところではありません。感謝するところです」などとバスガイドさんが説明するのを耳にすることがある。しかしニッポン人は”現世利益”が大好きだ。いやそれが全てといってもいい。「いい学校に合格できますように」「いい人と出逢えますように」「お金が儲かりますように」「いつまでも健康でいられますように」…お願いを叶えてもらうのが目的である。言い方は悪いが”他力本願”だ。

キリスト教などのことにはあまり詳しくないが基本的には「神を信じる者は救われる」である。それが現世なのか来世なのかわからないがいつかは「救ってくれる」ことになっている。一方で仏教では「自分が精進して悟りを開く」ことを基本としている。つまり自分を救うことのできる自分になるために自分の精神や身体を鍛えて悟りを開けということだ。もっとも誰でもが悟りを開く事はできないから悟りを開くことのできた人にやり方を教わってそれに近づくことが肝要だといっている。このあたりが宗教ごとの考え方の違いなのだろうとザックリと思っている。

最近は明治神宮でも「パワースポット」が人気を集めているのだという。詳しいことはその手の本なりを読んでもらうとして、パワースポットからは強力なパワーが出ていて人はそれを受けるとパワーが貰えるらしい。パワーをもらうと恐らくはRPGゲームの主人公のパワーが充電されるようにエネルギーがみなぎって強くなれるということではないかと思う。もっともボクはかなり鈍感な方なので数多のパワースポットというようなところにも行ったがパワーを感じられたことは一度もない。もしそこに行くだけでエネルギーを充填してくれるのだとしたらモッタイナイことをしているのだなぁと残念な気持ちにもなる。

しかしボクは、早朝の参道や境内を歩いている時、静かな木漏れ日と森の香りを感じていると心が鎮まってゆったりとした気持ちになれる。静寂の森に響く柏手が木々の中に染み込んでいくさまは清々しくもパワーを感じる。そうか、これもパワーのひとつなのかも知れない。
別にお参りすることのご利益なんてなくてもいい。いやそんな気持ちを取り戻せたことこそがご利益なんだと感じている。

そんなお詣りがボクは好きだ。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください