どうしてもやめられない

最近になって「ゲーム依存」というのがマスコミでも取り上げられることが多くなった。大きな要因はスマホなどの携帯ゲームの普及だ。しかしゲーム依存は最近になって急に問題化したわけではない。ボクが中学生の頃にはゲームセンター(ゲーセン)や喫茶店に当時大流行した「スペースインベーダー」というゲームが置かれていた。朝からゲーセンに入り浸って学校に来なくなったクラスメートも何人かいた。当時、電子ゲーム(いわゆるボードゲームではないゲーム機)は家庭にはなく、ゲーセンや喫茶店などでプレーするしかなかった。

ボクが高校生の頃、任天堂から「ファミリーコンピュータ」が発売された。ファミコンの登場だ。これにはボクもハマった。我が家にはファミコンがなかったので休みの日には朝から晩まで友達の部屋でスーパーマリオ、ドンキーコング、野球ゲーム、ゴルフゲーム、コンピュータ麻雀やなんとかギャラクシーなどというシューティングゲームで時間を潰していた。

ゲームをやってお小遣いが増えるわけではない。それならパチンコをやった方がよほど生産的だ。人生を狂わすほど楽しいわけでもない。それでも基本的に”無料”でできる魅力には逆らえなかった。

ボクはゲームでハイスコア(最高得点)を出すことにはあまり興味がなかった。ラスボス(ゲームの最後に出てくる最強の敵)を倒すことにも積極的ではなかった。最後の敵を倒してしまえばそのゲームはコンプリートされて興味を失ってしまうからだ。いつまでもダラダラと続けることが楽しみだった。

もっとも音楽バンドをいくつかやっていたので学校が休みの日でもバンドの練習があれば出かけていた。家で一人ギターの練習をすることもあった。しかし難しいリフにぶち当たって何時間練習してもうまくできないことがあると”休憩”と称してテレビゲームをすることもあった。言ってみれば逃げだ。現実逃避である。

ボクにとって幸いだったのは”ゲームは家でしかできない”ことだった。ひとたび家の玄関を出てしまえばゲームのことは頭から離れた。その日にやるべきことや予定に専念することができた。
しかし現代ではどうだろう。常にスマホはポケットにありバッグの中にはプレステやゲームボーイがある。ちょっと時間が空けば、いや空き時間でなくても好きな時にゲームに触れることができる。我慢する必要などない。

我慢する必要がない?
本当に必要ないのだろうか。先日テレビでゲーム依存を取り上げた番組をやっていた。出演していた30代の女優さんは「私も”やめられない派”です。友達と前から約束していたのにゲームがやめられなくてドタキャンしたことが何度もあります」と話していた。

こいう話を聞いていつも不思議に思うのは「あなたにとっての優先順位は何なの?」ということだ。この人の優先順位のトップはおそらくゲームではない。ゲームの優先順位は低いのに優先順位の高い”友達との約束”を守れない。

学校に行かなければいけないのにサボってしまう。仕事に行かなければいけないのにサボってしまう。これはひとえに若い頃から我慢する訓練を積んでこなかったための当然の帰結ではないかと思っている。

人は誰でも現状を変えることに消極的だ。服を着替えて出かけて誰かに会うことよりも部屋でズルズルとゲームをしていた方が楽だ。

しかし面倒臭いことをちょっと我慢して服を着替えて外に出れば新しい刺激に触れることができる。新しい刺激は自分にとって全てがインプットだ。ダラダラとゲームを続けていても何一つインプットはない。

これはゲームだけではない。
勉強依存、読書依存、仕事依存、etc…。一見生産的に見えることに依存していれば大人は怒らない。しかし新しいインプットがないことには変わらない。いいことか悪いことかではない。ときどき新しい環境に身を置き直すことでともすれば惰性に流されようとする自分を外側から見直すことができるのではないかと思っている。

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