「もしも~だったら」

♪もしも明日が晴れならば~♪

昔、欽ちゃんことコメディアンの萩本欽一さんのTV番組で女の子の歌手グループが歌っていた。未来のことを考えて「もしも明日、…」と明るい将来を考えるのはいろいろな可能性が頭に浮かんできて楽しい気分になる。お天気のこと、学校のこと、好きな女の子のこと、就活のこと、etc…。万事が上手くいってバラ色の未来が待っているならこんなにいいことはない。ストレスもなくお腹の調子だってハツラツとするってものだ。だが大抵はそうならない。正反対の結果に凹んでしまうことのほうがなんと多いことか。だからといって後ろ向きなことばかり考えていれば結果は必ず悪い方に転がっていく。結果を見て凹むことになったとしてもやっぱりバラ色の未来を思い描いて暮らしたいと思うのだ。

逆に過去のことを思い出しては「もしあの時、~していたら上手くいっていたかもしれない」と思い悩む人もいる。失敗してしまったことにいつまでもくよくよと泣き言を言うのは「男らしくない」と子供の頃にはバカにされたものだが今でも「男のくせに」と言われるのだろうか。つらつら考えると男はいつも損をしているような気がする。とまた泣き言を言ってみたりする。

過去のことは既に終わって過ぎ去ってしまったことだ。思い悩んでもやり直すことは出来ない。もう一度同じことをやるとしてもそれは「なかったことにしてやってみる」のではなく「もう一度挑戦してみる」だけのことだ。次にチャレンジするときの選択肢にはなるが新しい行動を起こすための役には立たない。

マンガ「ドラえもん」の秘密兵器(兵器ではないが)「もしもボックス」というのがある。最近ではめっきりと姿を消してしまった電話ボックスの形をしていて中にある公衆電話の受話器に向かって「もしも~の世界だったら」などと話しかけると現実の世界が”もしも”の世界に変わっているという道具だ。それは過去に遡ったり未来を予想するなんて面倒なことはしない。もし~だったら今の世界はどうなんだろうということが今すぐ現実になる。たとえばいじめっ子でガキ大将の「『ジャイアン』がいなかったら」と話しかければジャイアンは最初からこの世にいなかったことになる。そんな世界が「もしもボックス」の外に出た途端に目の前に現れる。

過去や現在の脈略なくいきなり世界が変わるというのはタイムマシン物のストーリーにはよくある話だ。そんな時、想像力が貧困なボクは「舞台裏で出演者たちはどうやって帳尻を合わせているんだろう?」などと下世話なことばかり考えてしまう。過去が変わるということは今ある状態から新しい状態に変化するのではなく、過去の分岐点から選び直すのだから今の自分なんて最初からいないんだということが、ボクが物語についていけない根本的な原因だ。

「もしも~」を未来について考えることはちょっと楽しい。でも「もし~していたら失敗したかもしれない」と過去にさかのぼって考えることはやや後ろ向きな思考だ。後ろ向きだが自分にとっての教訓になる。今の現実を見ながら成功した原因と失敗したかもしれない要素を見比べて、うっかりしていても失敗しないための対策を考える事ができるのだ。

「失敗していたかもしれない」は「それでも失敗しなかったかもしれない」と置き換えることもできるし「それでも失敗しないわけ」をじっくりと考えることができる。

失敗したかもしれない原因について深く考えを巡らすことは肝要だが失敗しなかった原因を考えることはもっと大切だ。人は失敗したときには反省するが上手くいったときにはほとんどの場合反省しない。「上手くいったんだからいいじゃないか」と考えてノホホンとしてしまう。だから次に上手く行かなくても失敗してから原因を探らなければいけなくなる。

もっとも「失敗していたかもしれない」のかすら考えずに「何となくそう思う」だけではさっぱり何の役にも立たない。

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