決められない人

レストランに入って自分のメニューを決められない人、缶コーヒーの自動販売機の前で商品を決められない人。
決められない人はどこにでもいる。そんな人は自分の性格を評して”優柔不断”だという。優柔で断ずることが出来ないのだからそう言えないこともない。しかしそんなくだらないことはどちらでもいい。決めようが決められなかろうが人生に大きな影響はない。悩む必要などない。

人生にはもう少し大きな決断をしなければいけないこともある。就職するか進学するか、どこの学校に行くか、どこの会社に行くか、確かにレストランで料理を決めるより多少は重大そうな決断だ。ただこれもしばらくしてみればどれを選ぼうが人生は対して変わらないことが多い。しかし”結婚するかしないか”、これは重大な判断になることもある。ゆめゆめ注意が必要だ(笑)

今年の6月に起こった大阪北部地震は朝の通勤通学時間を襲った。高槻市では登校途中の児童が倒れてきたブロック塀の下敷きになって犠牲となった。その後、教育委員会や公立学校では慌てて危険なブロック塀の点検を始めた。実に8割以上の学校で規定違反の危険な施設が見つかったという。今では更に指定通学路にまで範囲を広げて調査している自治体もある。

9月には登校・出社時間の大阪を猛烈な台風が直撃した。そんな場合に災害に遭ったらどうするかの基準がなかったから交通機関が乱れ行動が乱れ混乱を招いたというマスコミがあった。
実にくだらない。ガイドライン野郎の登場だ。なにか問題が起こったとき、起きる前にガイドラインを作っておけば全ては解決すると思っている連中だ。

じゃあ早朝に地震と台風が同時に襲ってきたらどうするのか。終末の昼下がりだったらどうするのか。実家から年老いた両親が孫の顔を見に来ているときだったらどうするのか。夕方に原発事故と津波と地震と液状化と子供のお迎えと買い物が重なっていたらどうしたらいいのか。あらゆるケースを想定して行動基準を決めるのか、ということになる。そしてガイドラインを作ったらすべての人ががそれに従うというのだろうか。

そんなものを決めたところで、いざというときに機能するとはとても思えない。人生がそうであるように世の中に起きる事象は自然現象であれ人為的な行動であれ千差万別で予想することは不可能だ。それを前もって想定してすべてのケースに当てはまるようなガイドラインを作ろうとすることは未来を予言するに等しい。

「臨機応変」、優柔不断という言葉を”良い”ように言い換える言葉として使われることが多い表現だ。機に臨んでやり方を変えて応えるわけだ。起こった事象を見てそのときに最適な解を考え行動する。

ここで大切なことは見たことに対して適切な解を”考えて判断する”ことだ。考えなしに行動することはかえって事態を悪化させることもある。
また自分で考えて行動した結果が仮に思わしくない方向に進んでしまったとしても、その時に既に一度は真剣に考えたことだから、更にその先に起こりうる変化を予想しやすいのだ。

ルールがないと何も出来ない。すぐに「どうしたらいいんですか?」と質問する人が実に多い。自分が判断しないでどうするのか?答えを聞いてそのとおりに行動して、よしんばその時には上手く解決することが出来たとしても、次にちょっとでも違う事態が起こったときにはまた別の解答を求めて誰かに「どうしたらいいんですか?」と尋ねることになる。応用が効かない。それは以前の自分から全く進歩していないことを意味している。

まずは自分で考えてみる、というところから始めなければ何も解決しない。世間には細々とした解答が溢れている。こういうときはあーしろ、そういうときはこーしろ。ハウツー本の寄せ集めのようだ。テレビや雑誌でも「これが正解です」と言わんばかりの特集や記事が溢れている。そういった意味でマスコミは人間をバカに導いている。

かつて評論家の大宅壮一氏はテレビ番組に熱中するニッポン人を評して「一億総白痴化」と言った。無批判にテレビを受け入れ全く考えることをしなくなれば”人間はバカになる”と言いたかったのだと思う。

何も判断できないニッポン人、誰かに答えを聞きたがるニッポン人、会社や世間から自分がどう思われるかばかりを気にするニッポン人。
何が正しいかを聞いてそのとおりに行動しても、バカになったらオシマイだ。

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