ちょべりば

ボクがまだ20代だった頃、当時の女子高生が(JKという言葉はまだなかった)街でよく「チョベリバ~」と盛んに言っていた。チョー・ベリー・バッドの略なんだと言う。「最悪ぅ~」とでもいったところだろうか。当時は今で言うJKたちが言葉を何でも省略することが流行り始めた頃だった。いや、都会のJKたちはもっと前からやっていたのかもしれないが、ボクの住んでいた町ではそれまでそんな風潮は見られなかった。

JKどころかすべからく女子にモテなかったというボクの友人は、少しでも若い女の子の気を引こうと慣れないJK言葉で「チョベリビ~」などと言っていた。曰く、学生でカネがなかったので「チョー・ベリー・貧乏」を略してみたらしい。もっともこれは女子高生はおろか貧乏学生の我々の間でさえ流行らなかった。

子供や学生の頃は大人には意味不明な子供の間にしか通じないいわゆる「隠語」を使いたがる。それはオトナに対する一種の反抗であり自分たちだけの聖域を作りたいという願望の現れなのかもしれない。子供の頃に空き地や山の中に作った秘密基地も、ひとたびその存在をオトナに知られてしまえば一瞬で魅力を失い色褪せてしまうように子供同士の、いや仲のいい仲間だけが知る秘密基地を作りたいという気持は映画「Stand by me」の中でも確かに存在していた。

子供や学生たちが使う隠語としての略語の寿命は短い。なぜならその特性ゆえに広く拡散することがないからだ。広く拡散して誰もが知るところになれば、もはや”隠語”を使う意味がなくなる。そしてその多くは小・中学生や高校生の間で流行するために卒業するまでの3年以内でその寿命を終える。長くてせいぜい3年。卒業してしまえば仲の良かった友達とも離れ離れになって”隠語”を使う機会もなくなり、考え方や生活の価値観が大きく変わってしまえば共通の話題すらもなくなってしまうのだ。

そして言葉の寿命としてはもっと長いが「死語」というものがある。ひところは流行の最先端だった物や風習も、時代のうつろいとともに使われなくなったり忘れられてしまい自然に消えてゆく言葉もある。ボクたちが若かった頃には普通だった「ブラウン管」や「レコード」なども今ではほとんど見ることもない。

だからといって寂しいかと問われれば別に寂しくもなく、もちろん不便を感じることもない。ただどこかで何かの拍子にふとに耳にしたとき、どうしようもなく懐かしい気持ちが湧き上がってくるのだ。

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