絶滅は突然に

チャールズ・ダーウィンの名前は聞いたことがあるだろう。その著書「種の起源」の中で自然淘汰説による進化論を提唱し当初は一部の教会勢力から反発を受けたものの、その後長きに渉って生物進化の基本ともいわれる学説にもなっている。
ボクたちは学校で生物に時間に「進化論」を学んだ。いや”「進化論」の話を聞いた”といったほうがいいだろう。それほどまでに”この進化論”は誤解されている。

長い生物の歴史の中で、かつて地球上に存在した生物種の99.9%は絶滅したという。つまり地球上に”種”として誕生した生物はそのほとんどが絶滅したわけだ。現在生き残っているのはそれらの生物種から分岐して新しく生まれてきた”種”ということになる。

ダーウィンの提唱した「自然淘汰説」を理解しようとするとき私達は「自然淘汰とは優れたものが生き残り劣ったものが絶滅する」と考えがちだ。これこそが進化論のステレオタイプである。

古代、恐竜は地球への巨大隕石衝突という偶然によって引き起こされた大規模な気候変動によって絶滅したと考えられている。当時の自然界で恐竜は強者だった(と考えられている)。ところがその巨大な身体ゆえに地球規模の気候変動に対応できずに絶滅してしまった。

この変化を生き残った生物は生存競争の中で当時の恐竜より大きさや運動能力的に圧倒的に劣っていたと思われる小さな哺乳類だったと考えられている。その遙か子孫が我々ホモ・サピエンス、つまりヒトというわけだ。

恐竜は劣っていたがゆえに絶滅したのではない。言い方は悪いが”運が悪くて”絶滅したのだ。このことはダーウィンの進化論を否定するものではない。
ダーウィンは”自然淘汰”を「最適者生存」だと言っている。優れたものではなくその時の環境に適した”最適者が生き残り繁栄する”というわけだ。

ところがこれを一般社会で語り始めた途端に「自然淘汰」は「弱肉強食」に話がすげ替えられてしまう。進化論による「自然淘汰」では”誰が”生き残るのかについては示されていないから誤解された。ライオンがシマウマを襲うように”強いものが弱いものを食う”方が理解しやすいからだろう。
後にダーウィンは「”最適者生存”の方が良かったかな」と言っている。

しかし昨今の社会では強くて大きなものがあっけなく絶滅してしまうこともよくある。古くは山一證券でありリーマン・ブラザーズ、国内の都市銀行も自らを存続させるために離合集散を繰り返し、日本航空やシャープ、三洋電機、最近では東芝までがほとんど解体寸前にまで身を落としてしまった。もはや絶滅危惧種といっても言い過ぎではない。

ドードー(かつてモーリシャスに生息し17世紀に絶滅してしまった鳥)やニホンオオカミはなぜ絶滅したのか、恐竜はどうして絶滅したのか、彼らの遺伝子の問題ではない。偶然の隕石衝突や人間の介入によって絶滅した、いやさせたのだ。人間万事塞翁が馬、野球で打ったボールがイレギュラーバウンドした結果勝ったチームと負けたチーム。

ヒトは、いや日本人は適者か?
こんな話をするとまた誤解されるかもしれないが、適者とは生き残って子孫を多く残した者であるとも考えられる。

某フィルムメーカーはデジタルカメラやスマホカメラの隆盛によってフィルム開発で培った科学技術を応用して化粧品メーカーとして生き残っている。翻訳業を本業としていた小さな企業も、英語の化学論文の翻訳をしているうちに化学の知識を自らのものとして研究開発を行い、今では全国的な化粧品メーカーとなった。

自然淘汰から進化は生まれる。しかし絶滅からは進化は生まれない。進化するためには適者となり生き残って繁栄することが必要条件である。

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