言われなきゃわからない

最近の加工食品の進歩には目を見張るものがある。先日、スーパーで手に取った”ほぐした蟹”だと思ったパックはカニカマ(カニ風かまぼこ)だった。カニカマといえば紀文の円柱形に近いいかにも「カニカマでございます」と言っているようなものしか知らなかったのだが、最近ではほぐし方まで本物そっくりだ。もっとも食べればカニカマなのだが、高砂香料(我が家の裏に工場と研究所があります)で作られたと思しき(意見には個人差があります)カニの匂いの香料で匂い付けされたそれは、もうちょっと歯応えを工夫すれば本物を凌駕しそうな勢いだ。

本物なのかレプリカなのか言われなきゃわからないものは枚挙にいとまがない。人工イクラもボクが学生だった頃には既に巷に普及していた。当時は天然物と比べればまだ魚卵の皮がやや厚めで、言われなくても何となく「人工イクラだな」などと区別がついたものだが、しばらく経った頃にはほとんど区別がつかなくなった。

知り合いを家に呼んで手巻き寿司をやった時にも「今日は奮発したぜ」と言いながら山盛りの人工イクラをテーブルに出したところ知り合いが「やっぱり天然物は美味いね。最近は人工イクラとかあるじゃん。でもやっぱり天然物には…」と言いかけたので「これ、人工イクラだけど…」と言ったら「えっ?」と言葉に詰まっていた。ボクを含めてシロートには天然も人工も区別がつかなくなっていた。

その頃、テレビのバラエティ番組で”自称グルメ”な芸能人に人工イクラと本物のイクラを食べてもらってブラインドテストするという企画があったが出演者の半分以上が間違えていた。別の番組ではプロの料理人に同じようなテストをしても半分が間違えていたのだから自称グルメにしては健闘したというべきだ。いや半々(真央ちゃん流に言えばハーフ・ハーフ)なのだから当てずっぽうだったと言うべきなのか。

偽物(人工イクラ)のほうを指して「こっちが美味しい」と言っている人が半分もいるのなら偽物を使ったほうが安くて美味しいものが食べられることになるが、安易にそんなものを店で提供すれば「詐欺だ」と言われかねない。しかし「当店は人工イクラを使用しています」などと宣言すれば人は先入観で「やっぱり天然には敵わないね」などと言うのである。これは養殖と天然の関係でも同じだ。

食品に限らず、人はひとたび「こっちが偽物です」聞くと決まって「やっぱり本物には敵わないね」と言う。

天然物 > 養殖物or人工物

という強力な刷り込みがされている。それほどまでに人の思い込みは激しい。ステレオタイプは強烈だ。

最近では稚魚の壊滅的な不漁が続くニホンウナギの代わりに養殖ナマズを使おうという流れも出てきた。同様に乱獲で資源が減少している天然のクロマグロ(いわゆる本マグロ)を完全養殖した「近大マグロ」も数は少ないが流通に乗るようになっている。
問題はこれをいかに売り出すかである。

例えば養殖の社会的正義を訴える方法もある。

「私達は枯渇する水産資源の保護と
サスティナブルな漁業を応援します!」

などである。ニホンウナギやクロマグロに限らず、アジやサンマ、スルメイカなど、昨今の水産資源の減少による漁獲高の急激な減少は私達の日常生活にも影響を及ぼし始めている。

面白いのが群馬県太田市で話題になっている「ナスのうなぎ風蒲焼き」だ。焼いたナスにうなぎのタレをつけてもう一度焼いて「うな重風」に仕上げた物らしい。ボクは以前、太田市に住んだことがあるがその当時にはまだそんなものはなかった。返すがえすも残念である。
もちろんナスのウナギタレがけ蒲焼は流石に区別がつくだろうが、うなぎのタレをつけて焼いているのだから不味いわけはない。新しい食べ物としても”代用食”を超えたパフォーマンスを発揮しているのではないだろうか。

最近話題になって笑えるのは「甲子園の砂」だ。
ネットオークションに出品されているらしいがそこそこの値段で売れているようだ。それが本物の甲子園の砂なのかどうかは別にして、自分が出場したわけでもない「甲子園の砂」をどうして欲しがる人がいるのだろう。それほどまでに本物(ホンモノ)という言葉には魔物が住んでいるのだろうか。

人は本物だと聞くと意味もなく群がる。「モナリザ」にしても「シャンシャン」にしても「阿修羅像」にしても本物を見たところで触れたりナデナデしたりできるわけではない。仮に触れたとしても一介のシロートに違いがわかるわけでもない。壊したり汚してしまうのが関の山だ。
「モナリザ」の真贋がわからないならレプリカでいいではないか、パンダではなく家で飼っている犬や猫の方が懐いて可愛いではないか。

それでもなお、なぜ本物がいいのだろうか。それは「オレは見たことがある」と自慢できるからという理由だけではないのか。人は誰しも”見栄”を張ることに強い魅力を感じる。見栄を張ることで自分を強く見せようとする。

もっともブリューゲルの絵画「バベル」の本物が日本に来ると聞いていそいそと喜んで見に行ったボクが偉そうに言えることではないけれど。

人類の大切な遺産の本物は1つしか残されていないものが多い。壊れたらもうおしまいだ。そして形あるものは必ず壊れる。人間が作ったものなら残っているただ一つの本物を調査研究して再生できるようにしておけばいつでもレプリカが作れるし見た人のほとんどは本物と区別がつかない。

自然物はそういうわけにもいかないから環境保護に努めるしかないが、せめて人工物であるならレプリカの価値を認めて、本物は温度や湿度を管理された博物館の収蔵庫の中で光にも当てずにひっそりと保存しておき、でも「本物だってどこかに残ってるんだぞ」というオーラを受け止めるだけで人が満足できる時代にはならないのだろうか。だってVR(仮想現実)の世界に没入するゲーマーがたくさん出て来る時代になったのだから。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください