ドント節

♪サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ
二日酔いでも寝ぼけていてもタイムレコーダーガチャンと押せば
どうにか格好がつくものさ
チョッコラチョイとパァにはなりゃしねェ♪

昭和の30年代にハナ肇とクレイジーキャッツはサラリーマンを皮肉った歌をたくさん出していた、らしい。まだボクが生まれる前の話だが、その後にあちこちで聴く機会が数々あったのでボクたちの世代にもポピュラーな歌だった。

歌っていた植木等さんはこんな歌ばかりを歌っていたので「無責任男」の代表みたいに思われていたが、もともととても生真面目な人で最初は「こんな歌は歌いたくない」と拒否したのだそうだ。

大抵のサラリーマンは時間どおりに出社していれば、ちゃんと働こうが二日酔いでテキトーに過ごしていようが「チョッコラチョイとパァにはなりゃしねェ」わけだ。会社から帰る時に上司から「今日はお前の給料分稼いでないぞ」と怒られることは、まぁない。言ってみれば”会社に行くこと”で仕事の半分以上は果たしている。
「バカなことを言うな!」とオカンムリのサラリーマン諸氏もおられるかもしれないが、帰るときになって「オレは今日、いくら稼いだかな?」と考える人はほとんどいないだろう。もちろんボクもサラリーマン時代にそんなことを思った記憶は全くない。

それでも40代で独立を考えるようになると「オレみたいな社員ばっかりだったら経営者は堪ったもんじゃないな」などと考えるようになった。しかしよくよく考えてみれば会社の利益のほとんどはすでに会社が投資した工場や機械が自動的に稼ぎ出しているわけで、どこの部署を見てもサラリーマンなんて似たようなものだった。つまるところGDP(=付加価値)のほとんどは社員ではなく機械が生み出していたわけだ。

独立してみて感じるのは、自分が稼ぎ出さない限り儲けはおろか収入すら全くなくなる。年金も保険も助けてくれる会社はない。すべて頼りになるのは自分だけだ。何もしなければ収入はないし何かをしても売れなければ収入はない。会社に行く=給料がもらえる、どころか、仕事をする≠収入、というわけだ。働かなければ収入はないが働いたからと言ってお金が稼げるわけではない。もちろん収入がなければ儲けにならないどころか赤字だ。

そんな当たり前のことをサラリーマン時代にはあまり考えなかった。月に何十万円か貰っている給料の原資がどこにあるのかを考えることはあまりなかった。会社で働いているんだから何らかの付加価値を生み出しているんだろうなぁくらいの感覚だった。

それがひとたび一人になってみると見える風景は全く違ってくる。これが社員と経営者との意識の違いなのだろうと思う。経営者は”自分が何時間働いたか”で労働の価値を測ることはない。指標は”どれだけの価値を生み出したか”つまり簡単に言えば”いくら稼いだか”だけが基準だ。

だから商店主は1日の終りにレジを〆て今日の売上を気にする。どれだけ稼いだかがわからないまま寝るわけにはいかない。何が売れて何が売れなかったのか、もっと稼ぐには何をすればいいのかを常に考えている。経営するということは言い換えれば”稼ぎ続ける”ということだ。稼げなくなった時が終わりの時だ。

だが周りにその悩みを相談できる人は少ない。家族や親戚、友人とて経営に参加していない限りは他人だ。「困った」と言っても「頑張れよ」としか言ってくれない。世間で言うところの「経営者の孤独」というやつだ。

でも自分で全てを切り盛りすることは楽しい。何をするにも稟議書を書いて決裁をもらう必要はない。”自分の責任で”何でもやることができる。”いい”と思ったことでもサラリーマンは上司に却下されれば何もできない。ダメだと思ったことも業務命令だと言われれば嫌でもやらなければならない。それこそがボクがストレスフルになるもっとも大きな原因だった。

だから今はたくさんの経営者と「次は何をやろうか」とやる気満々で打ち合わせできる身の上を幸せだと感じている。

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