悪いのは誰?

今年の夏も全国で自然災害が数多く起こった。自然災害だけではない。水の事故も交通事故も殺人事件も起きた。何かが起きると自然災害であっても「あれは人災だ」ということがある。例えばフクシマの原発事故や河川の決壊などによる浸水被害や土砂崩れなどでもだ。
フクシマの事故は直接的には震災による津波が発電所を壊したことだ。河川の堤防決壊や土砂崩れも雨が一時に大量に降ったことが原因だし、ブロック塀の下敷きになったのも地震による揺れが大きな原因だ。

「じゃあ誰が悪かったのよ」
強いていえばお天道様が悪いのだろう。でも日本人は絶対にお天道様を悪く言わない。何か不都合なことが起きてもそれは天罰だという。人が、我々が何か悪いことをしたから天が罰を与えたという。じゃあその”何か悪いこと”をした”誰か”は誰なのか?
地球温暖化が異常気象を起こしたのならパリ協定を一方的に脱退したトランプ大統領のせいになる。地球温暖化は彼が大統領になるずっと前から問題になっていたのにだ。トランプがあんなことを言うから天罰が下ったのだと言えば多くの人が「そうだ!トランプはけしからん!」ということになる。

先日久し振りにドラマを見ていたら、病院に入院していた若い旦那さんを亡くした妊婦さんが病院に怒鳴り込んで「病院も医者も誰も悪くないなら誰を怒ればいいのよ!」と叫んでいた。ドラマの中では医療事故による死亡だったのだが病院は医療事故を認めないというのだ。

実際に病院では事故じゃなくても人が亡くなることはある。いやその方が普通のことだろう。病状が悪化して命を落とすことは特別に異常なことではない。しかしそこに医療事故の可能性が少しでも見え隠れすれば「それは誰のせい?」ということになる。

怒りを向ける対象がいなかったりわからなかったりすることに人は我慢できない。それが天災であってもできることなら誰かを犯人に仕立てて怒りをぶつけたくなる。特に人の命が失われるような取り返しのつかない事態ならなおさらだ。その悲しみを紛らわせるためには誰かに怒りをぶつけるしかない。もはや怒りをぶつけることが目的になってしまう。

古代からあったという人身御供や生贄(いけにえ)の風習はそれが形を変えたものではないだろうか。誰かのせいではないが雨が降らないことを人身を捧げることで何とかしてもらおうというのは天災と命の取引に他ならない。”誰か”の命を捧げることで自分たちの心の平安を保とうとしている。

一方で、誰かが痛めつけられて苦しんでいる姿に心が落ち着くこともある。議員や社長が国会や記者会見で糾弾されている場面はしばしば報道される。どこかの大学のフットボール部が不祥事を起こそうがボクシング連盟の会長の人相が悪かろうがほとんどの人は直接迷惑をかけられているわけではない。それでもワイドショーでは連日「けしからん!」とスケープゴートをつくりだすことに躍起になる。大衆がそれを求めていることをテレビ局はよく知っている。視聴率を取るための即効性のある特効薬なのだ。
だから人はすぐに犯人探しを始める。

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