いつでも会えると思っていた

先日、かつて同級生だった友人を亡くした。
彼とは小学校1年からの同級生で高校までは同じ学校だった。大学は別の学校だったが家が近かったこともあって20代の頃までよく遊んだものだが、ここ20年ばかりは音信不通になっていた。

同じ同級生の中で彼と幼稚園からの同級生で、彼ととりわけ仲の良かった友人がいる。その彼とボクはこれまた小学校1年生からの同級生で高校時代は同じブラバンにも所属していた。その彼とは実家を出た時に同じアパートの部屋を借りて同居していたのだが、お互いに結婚してからは付き合いも疎遠になっていた。もっともごくたまにメールで連絡を取ることはあった。

亡くなった友人は共通の友人だったわけだが彼のほうがより親しい付き合いをしていると思っていた。
しかし彼は、亡くなった友人とは近年は年賀状のやりとりくらいで他には音信もなく、最近の詳しい様子は知らなかったらしい。今年の正月には特に変わりはなかったようだと話していた。会おうと思えばいつでも会えると思っていたと話した。

訃報は想像もしていなかったブラバンの後輩から入った。その後輩は大学時代やその後に就職した職場で亡くなった彼と付き合いがあったのだという。縁は不思議なものだ。後輩は亡くなった彼の奥さんから連絡を受けたらしい。
その時に奥さんからかつて同居していた仲の良かった同級生の名前も出ていたというので彼には既に連絡がいっていると思い、ボクからあらためて連絡することはしなかった。親しかった友人の死を何度も聞かされたくないだろうという気持もあった。

誰でも仲の良かった友人とは、会おうと思えばいつでも会えると思っている。自分や友人が40代50代なら、まだ死はそんなにリアリティのあるものではない。
しかし別れは突然やってくる。会おうと思っても急にもう会えなくなってしまった。今度会ったら話そうと思っていたことももう言えなくなってしまった。

いつでも出来ると思っていてもいつまでもやらないことがある。いつでも出来ると思っていたのにもう二度とできなくなることがある。やろうと思っていることはできるだけすぐにやろうと思った。
テレビのCMでも某予備校の先生が言っていた。行動するのはいつか、今でしょ!

お葬式が終わってからわかったことだが、亡くなった彼の幼馴染だった同級生の彼に訃報は届いていなかった。どうやら年賀状だけでは電話番号が分からなかったらしい。翌日になって彼にメールを送ったときに話が噛み合わないことで初めてわかった。ボクよりも彼のほうが、もう会えなくなってしまったことへの後悔は大きいはずだ。
これからは迷惑だと思われても大切なことはきちんとしようと改めて思い直した。

あの時に話そうと思っていたことは彼と次に会うときまで胸の中に収めておこう。あっちの世界に先に行かせて待たせている友人がまた一人増えてしまった。