無感動が時間の流れを早くする

子供の頃は1年が長かった、いや1ヶ月も1週間も1日も長かった。なのになぜ大人になった今は1年が、いや10年までもがあっという間に過ぎるのだろうと思う人は多いと思う。いや思わない人はいないのではないだろうか?
先日、NHKのバラエティ番組を見ていたら「年をとると1年が早く感じるのはな~ぜ?」というテーマが出てきた。たぶん同じような毎日で変化がないからなんじゃないかとは以前から思っていたが果たして答えは「大人になるとトキメキがなくなるから」だと言っていた。

”変化がない”ということでは間違ってはいなかったが”トキメキ”と言われて「あーそうだよなぁ」と妙に納得してしまった。大人は何を見ても何を聞いても何を食べても感動することがなくなるという。確かにどこに行っても何を見ても「ふーん」としか思わないことが多い。もちろん子供に比べて経験したことも多く、知っていることも多いから感動することは少ない。「すげー!」とか「やった!」と感じることが少なくなっている。

子供は晩御飯にハンバーグが出てくれば「やった!ハンバーグだ!」と思うが大人になれば「あぁハンバーグか」と思えばいい方で、何も思わず何も感じないまま空腹を満たすだけでおしまい、ということが多い。目にするもの耳にするものが珍しければそれだけで「かっこいい!」と思ったりする。

消防署の前で1歳くらいの小さな男の子が赤いハシゴ車や白い救急車を指差してしきりにお母さんに何か夢中になって話しかけている。工事現場の前でダイナミックに動き回る重機や軽快にハシゴを上り下りする職人に見入っていたりする。

ボクも子供の頃にはさいか屋(神奈川県のご当地デパート)の地下食品売場の片隅に置かれた「さいか屋まんじゅう」を作る自動製造ロボットに1時間も2時間も見入っていた覚えがある。しかし今となっては通りかかっても目もくれなくなってしまった。しかし今でも小さな子供はあの頃と全く変わらないまんじゅう製造機の前から動こうともせずじっと見つめているのだ。

無感動は「あぁ、あれか」と思うだけで新しい刺激が脳に与えられない。そのことについて考えて想いを巡らせたり喜んだり悲しんだり怒ったりもしない。全てがどうということもない平凡なことのように白けてしまう。前にどこかで見たような景色だったりどこかで食べたような味だったりすると心を動かすこともない。

子供は短い時間の間でもたくさんのことを感じて沢山のことにトキメイているから同じ時間でも長く感じるのだという。何だか当たり前のことなのだが妙に納得させられた。

大人になって仕事をするようになって1日の予定を埋めることにだけ熱中し、何も思わず何にも心を動かすことなく予定を消化することだけで1日を過ごしている。こんな毎日の中で、楽しいことが起こっても笑えず、嬉しいことがあっても喜べず、悲しいことがあっても涙を流すことさえなくなってしまった人生が、果たして求めていた幸せな人生なんだろうかと考えたりしている。

いつまでも、小さなことにも素直な気持ちで感動できる若い心を持っていたいものだとあらためて思った。