ラジオは友達

夢中になってラジオの深夜放送を聞いていたのは中学生の頃だろうか。当時、オールナイトニッポンという番組があって(今でもあるらしい)落語家の笑福亭鶴光さんや松山千春さん、中島みゆきさん、タモリさんといった今となってはそうそうたる人たちがそれぞれの曜日を担当していた。番組は2部構成で1部は午前1時から、2部は午前3時から5時までだった。さすがに毎日2部を最後まで聞いていると翌日学校に起きられなくなるので週に1回程度だったがよく聞いていたものだった。

普段からラジオを聴く人というのはどれくらいいるのだろう。車の中で聴いている人は結構いると思うが、サロンや商店、小さなオフィスなどでもBGMとして流しているところは多いだろう。ボクも店舗で働いていた時には一日中店内にFM放送を流していた。関東を中心に放送されているJ-WaveというFMラジオ局は時報を流さないので、お店の中でお客様に時間を忘れてゆっくりしていただくのにうってつけだった。もっとも正時になるとジングルが入るので店員にだけわかる隠語にもなっていた。

ラジオ放送の特徴って何だろう?
何となくテレビを見る時とは別の心理状態になっているような気がしている。あえていうなら”プライベート感”とでも言ったらいいのだろうか。大ホールで聴くコンサートとライブハウスで聴くセッションの違いような感じだ。そんなことはないとわかってはいるが、ごく少数の自分たちだけが聞いているという感覚なのである。

恐らくそれはラジオ番組の多くがリスナーからの投書を中心に番組を進めるからかも知れない。それはパーソナリティという”友達”から直接話しかけられたり話しかけたりする感覚でもある。リスナー同士も会った事も話した事もないのに同じ番組を聴いているというだけで”同士”のような感覚を持つ。喋っている人と聴いている人の距離感がとても近く感じる。それこそがラジオの真骨頂だ。それはあたかも親しい友達と他愛ない話をしているかのような錯覚になってくる。

そこへいくとテレビは違う感覚だ。ずっとニュースを見ている姿勢と変わらない。
テレビでは出演者やアナウンサーが一方的に発信・発言することが多い。膨大な数の人が同じ番組を見ており、自分は巨大なコンサートホールの一つの座席に座っているだけの”その他大勢”の観客の一人である。

最近はテレビでもデータ放送やメール、Webサイト、ツイッターなどで視聴者の意見を募集することはあるが、それはごく一部の意見を聞いて集計されるだけで出演者や視聴者のプライベートに言及することは少ない。そして視聴者も自分のエピソードを語ることは少ない。それはテレビが視聴者に話しかけている感覚ではないからだと思う。”放送している”という感覚が一番近いように思う。そして他の視聴者とのつながりを感じることも少ない。

歌手のさだまさしさんがNHKの深夜番組で視聴者からのハガキ(メールやツイッターではない)を読む「今夜も生でさだまさし」(通称:生さだ)という番組をやっている。もう10年以上も続いているのは番組が24:00からという深夜であることと月一の放送だというのんびりした流れのせいもあるだろう。この番組では生放送であることを逆手にとって、NHKでは通常カットされてしまうような発言(失言?)も多く「意見には個人差があります」という手書きのパネルを手で画面に映して誤魔化すやり方も多用している。

ずいぶん昔の話だが、コント55号の萩本欽一さん(通称:欽ちゃん)がラジオで「欽ちゃんのドーンといってみよう!」(通称:欽ドン!)という番組をやっていた。毎晩21:50から10分間だけの短い番組だったが当時の中高生には人気のラジオ番組だった。
ラジオの衰退とともに番組はテレビに移って「欽ちゃんのどこまでやるの?」(通称:欽どこ)というTV番組になりお茶の間向けの内容にアレンジされたがハガキを読むスタイルだけは変わらなかった。

先日、さだまさしさんの「生さだ」を見ていたら欽ちゃんがゲストで出演していた。話の中で、さだまさしさんが番組の中で自分のトークばかりしている(もっとも自分の普段のコンサートでも3/4は歌わないで喋っている)のを見て「もっとハガキを読みなさい!」とお説教をしていた。こういう番組はリスナーからのハガキを読んでこそ番組の存在価値があるのだと言っていた。
その後の放送では「また欽ちゃんに怒られるから」と言ってせっせとハガキを読んでいる(笑)

最近の私たちのコミニュケーションはSNSやビジネスメールが中心で、瞬時に受信して瞬時に発信される。どこかに思いを馳せてゆっくりと余韻を楽しみながら文章を書くということがなくなっている。そして1日も経てば発信された内容すらもタイムラインの彼方に消え、忘れ去られる。

会話とは相互の意思疎通であり、お互いをより深く知るためには欠かせないコミニュケーション手段だ。一方通行ではコミニュケーションは成り立たない。

ラジオを聴きながらそんなことを考える暑い夏の日である。