やっぱりそれも誰かのせいですか?

最近マスコミではマイクロプラスチック問題が大きく取り上げられている。マイクロプラスチックとは、日常生活で使われた、主に使い捨てられたプラスチック製品が分解されないまま微細な粒子にまで砕かれて世界中の海洋に漂っているゴミのことである。一説では年間に世界中で1000万トン以上のプラスチックごみが海洋に流れ出ていると言われている。これらは紫外線や波風等によって脆く崩れやくくなり微細な粒子となるが、プラスチック自体は分解されることなく海の中を漂い続けることになる。これを海洋生物が摂取するとその体内に蓄積され、最終的にそれを食べた家畜や人間の身体や細胞に蓄積されてしまう。

このことを誰に話しても「それは問題だ」と言う。何とかするべきだ、と言う。実際にアメリカのいくつかの企業は店舗でプラスチック製ストローの提供をやめると発表した。その一つが米シアトルに本社がある皆さんもご存知のスターバックス・コーヒーである。アメリカ人は考えが短絡的なところもあるが「やる」と決めたら行動が早い。もっともスターバックスは「意識高い系」をターゲットにしているので、そういった人たちの感情をくすぐるのが得意だという事もある。ただ表向きであっても「いいことならやる」という姿勢は”すぐに嫌がらせをする”どこかの国のジョーカー大統領とは正反対で、実際にスターバックスはいくつかの彼の政策に反発している。

そんな話をした後でボクが、使い捨てのプラスチック製品はできるだけ使わないようにしている、という話をするとほとんどの人は「でもさぁ1人だけがやってもダメだよねぇ」と言う。「でもまずは自分が行動することが大切なんじゃない?」と言うと「じゃあなぜ国が取り締まらないの?」と言う。(ふーん、取り締まられないなら悪いとわかってることでもあなたは平気でやるんだね)と思うが黙っている。「国がグズグズしてやらないからまず自分がやるんだよ」と言っても話は白けるばかりだ。

世界中どこでも環境問題に政治や行政は常に後ろ向きで後手後手だ。なぜなら”安心安全”は儲からないので金儲けのことしか考えていない経済界から支持を得られないのだ。その結果、政治家も選挙に勝てなくなるからやりたがらない。政治家は天下国家のことなどこれっぽっちも考えていない。当事者意識が全くない。

さらに「日本が対策をやったって、そのゴミのほとんどを出しているのは中国やフィリピン、インドネシアなんでしょ?」と他国を非難する人もいる。事実、そう言われている。CO2問題でも中国やアメリカ、ロシアをやり玉に挙げる人が多い。しかし、だからといって自分(日本)は何もしないのか。
そうやってすぐに他人のせいにする人にも当事者意識は全くない。

ビーチでは毎週、ゴミを拾っている人をよく見かける。ゴミを拾うことも海に流れ出すマイクロプラスチックを減らす有効な手段だ。更に出すゴミを減らせば回収するゴミだって少なくなる。他の国から出たゴミも日本から出たゴミも最後に細かく砕けて海を漂うことに変わりはない。

話は変わるが、近年、日本や中国でニホンウナギの稚魚の漁獲量が激減してほとんど取れなくなっている。資源保護のために漁獲量を制限すべきだと言う人も多い。しかし日本でウナギが売れる限り、漁師は獲り続ける。売れるから獲るのはある意味自然だ。意識が低ければ尚更だ。

ここでも「漁師が悪い」と人のせいにする。そういう自分は夏になると「土用は鰻だ」などといって大はしゃぎして平気で食べている。そのウナギは自らが”悪人”扱いしている日本や中国の漁師が獲ったウナギそのものだ。それでも「自分一人が食べなかったからといってウナギが増えるわけじゃない」と言う。
こういう人も「意識低い系」という。

「千里の道も一歩から」
「塵も積もれば山となる」

古人は、小さなことからコツコツと積み重ねていくことの大切さを説いている。古い中国の諺に

「まず隗(かい)より始めよ」

という言葉がある。
戦国時代にある国の王に「国を強くするにはどうしたらいい?」と尋ねられた隗(かい)という人が「国を強くするには人材が大切です」と言った。「では優れた人材を集めるにはどうしたらよいのだ?」と訊かれて「それならば今ここにいる凡人の私(隗)を召しかかえなさい。凡人の私でも家臣になれたのを見たら、もっと優れた人材がたくさん集まることでしょう」と言ったという。

自分だけでも正しい行動をすればそれを見ている人が「自分はもっと正しいことをしよう」と思うだろう。少なくともあなたの周りには正しいことをする人が集まる。正しいことを常に続けていればあなたやその仲間たちが信頼されるようになる。あなたが信頼されれば正しいことをする人がもっと集まるようになる。類は友を呼ぶ。

大きなことを成すには他人のせいにせず、まず自分が出来ることから始めなさいということだ。たとえそれが途方もない道のりに見えたとしても、一歩ずつ着実に前に進んでいるのだから。