ピンピンコロリのすゝめ

生きている間はピンピンして元気で、死ぬ時にはコロッと死ぬ。巷で話題になっているピンピンコロリ、略してピンコロである。
歳をとって体が弱って病気になって寝たきり、誰かに介護してもらいながら「迷惑かけてるなぁ」なんて思うのなら最後はコロッと逝きたいと思う人は多いという。実は数年前に他界したボクの祖母はピンコロだった。齢百。明治43年生まれだった。最後の夜は既に80近い叔母や従兄弟夫婦と普通に夕食を食べ、デザートにと冷蔵庫からプリンを出してきて食べたという。「おばあちゃんはもう寝るから」と家族に言って階段を登り2階の寝室に向かったのが生きている最後の姿だったという。明け方に、やけに静かだなと叔母が部屋を覗いた時には既に事切れていたらしい。

ボクが横須賀に引っ越した5歳の頃、当時、祖父を60代でガンで亡くしたばかりの祖母はやや気落ちしており、横須賀にやって来た時にも「おばあちゃんももうこれっきり(来れない)だから」と何度も言っていた。当時60歳前後だったはずなのでそれから40年間を過ごしたことになる。洋服屋を営んでいた祖父を手伝っていたせいか裁縫が好きで、歳をとっても手鞠などをいくつも作って市長賞など貰っていた。特に具合の悪いところもないらしく90になっても駅まで自分で歩き、健康ランドの送迎バスに乗って週に1回は通っていた。食欲も衰えず口の悪い娘3姉妹は「どこまで生きるんだろうね?」などと言っていた。

何事に関しても欲がなく「おばあちゃんはもうこれで十分」が口癖だった。最後は近所の葬儀屋に自分でお金を払って火葬の予約までしていたらしい。葬儀にやってくるはずの友人たちは既に皆他界しており、これまた老いた娘やいい歳になったオヤジの孫が最期のお見送りをした。葬儀屋さんにも「余計な飾りや花はいりません」と強く言っていたらしく「立派な矍鑠(かくしゃく)とした方でした」と言わしめた。

ボクから見ても彼女は確かに十分に生きた。それも最後まで健康を損なうこともなくボケてしまうこともなく元気でピンピンと生き抜いた。それは祖母がボクに残してくれた最後の土産だ。2度の戦争を乗り越えて苦しいこともあったことと思うが、最後までピンピンと生ききった彼女をボクは誇りに思っている。

世の中では不幸にして病を得てしまったり体力が衰えて身体の自由が効かなくなる方も多い。病気になるのは決して本人の責任だけではなく運が大きく影響することもある。体力の衰えにしても同じだろう。祖母は何ごとも「自分でできることは自分でやる」ということを実践してきた。さすがに畳表を替えるのは畳屋さんを呼んだがふすまや障子、網戸の張替え、時には自宅のブロック塀を積んでいたこともあった。他人任せにしないで何でも自分でやってみるという姿勢が前向きで健康な体と心を養ってきたのではないかと思っている。

人にはいつか必ず寿命がやってくる。それは今かもしれないしもうちょっと先のことかも知れない。今は「人はいつか必ず死ぬんだから」などと言っているが、自分が歳をとって余命が見えた時にボクは何と思うのか。「もっと生きていたい」と思うのか「このあたりが順当だな」と思うのか、その時になってみないとわからない。
出来ることなら最期まで意識を持って「もう十分」と思いながら長い眠りにつきたいものだと思っている。