安全安心

ここ数年のこと、なにか問題が起きたりすると責任者らしき人が出てきて会見を行い「これからも皆様の安全安心を第一に考え…」と言うことが多くなった。急に増えたきっかけは東京の築地市場の豊洲移転問題からのように思う。新しく出来る豊洲市場の地下には”盛土”をして地中の廃棄物汚染から安全を確保することになっていたのに、蓋を開けてみたら何も工事をしていなかったという例の問題だ。この問題で東京都の小池百合子知事は”安全安心”を連発した。その後も全国で”安全安心”は大流行し、この言葉を1日でも聞かない日はないほどだ。
そしてボクは年末の「流行語大賞」に選ばれること間違いなしと思っていたのだが、世間の興味はまったく違うところに落ち着いた。

かつて日本では「水と安全はタダだ」と言われていた。確かに水道の蛇口をひねって出てくる水をそのまま飲める国は世界でも珍しいし、強盗や殺人・テロなどの凶悪事件の発生も比較的少ないと言われてきた。もちろん今でも水道の水はそのまま飲めるし街中で強盗に遭ったりいきなり銃殺される可能性は少ない。
その一方で幼児や児童への虐待や誘拐・殺人、テロまがいの車の暴走などで命を落とす人がいることも事実だ。

そのような事件や事故が起きると人は不安になる。「次は我が身」と思う人もいる。そんな時に行政が出てきて”国民の安全安心”を唱える。
唱えたからといって社会が急に安全になるわけもないが、言わないよりは心意気だけでも表明しておいたほうが”炎上”しないで済むと考えているのかもしれない。

そもそも”安全”や”安心”ってなんだろう?手許の辞書には

【安全】身体や生命を脅かすことのない状態
【安心】心配がなくなって心が落ち着く事

とある。”安全”は物理的な状態を表すが、”安心”は自分の心の状態を表している。ということは”安全”は誰かから提供されることもあるが”安心”は貰うものではない。”安心”は”する”ものだということになる。

普通に考えれば安心するためには安全であることが必要条件だ。安全であるからこそ安心なのだ。ところが安心は人それぞれの心の中の状態だから”安全でも安心できない”人もいる。逆に”安全ではないが安心している”人もいる。
では安全であっても安心できない状態ってどういうことだろう?
例えば近いうちに大地震が来るかもしれない、と言われる。でも今いるビルは震度8の揺れにも耐えられると総務部から説明されている。
ここで「それなら大丈夫だね」と安心する人もいれば「震度9だったらダメってこと?」と思う人もいる。
もう一つにはその説明された”安全”を自分が信用出来ない場合だ。「ホントに大丈夫なのぉ~?」と疑う人がいる。「前にあった地震は震度5強って言われてたけど壁にヒビが入ってボロボロになったよねぇ」と言う。そもそもビルが大丈夫でも壁際のロッカーが倒れてきたら下敷きになっちゃうよね」と思う人もいる。
安全だと言われても自分が安心できるかどうかは人それぞれ、個人の問題だ。

フクシマの原発事故でもそうだった。”原発は絶対に安全”と言われていた。地震が来ても津波が来ても壊れることはないと言われていた。それでも安全対策を検討していた時には「万一の時には…」と食い下がった人もいただろう。それでも東京電力は「万一はない!」と押し切って考えられる安全対策をしなかった、と言う。
「それなら東京湾に原発を作れば?」と言われると「それは万一を考えると…」と言う。「万一はない」と言った舌の根も乾かないうちに平気で言う。
”この人の言うことは信用できない”と思えば「安全です」と言われても安心する訳にはいかない。

「安心」と「安全」は元来まったく別の概念だ。安心は他人から与えられるものではなく自分が納得した時にするものである。
結局「安全安心」って何なのだろう?
誰もが気軽に使ってるが、誰も本気で安全も安心も考えてないから気軽に言えるのではないだろうか?