成金(なりきん)

あなたは「成金(なりきん)」と聞いて何を連想しますか?
ポッと出の実力も実績もない人が、あるとき運良く大儲けをして急に金持ちになったような人、というイメージでしょうか。急に増えた財産に本人の人格が付いてイケてないような人を指して言うこともあります。
元々は将棋から出た言葉ですが将棋の対局などでは「2三銀成り」などというので「成金」という言葉はあまり聞きません。
最近では藤井聡太さんなどの活躍で将棋熱も高まっているようですが、将棋にはあまり詳しくない方もいらっしゃるかと思うので「成る」ということについて簡単に説明しておきます。

将棋は対局する二人が将棋盤を挟んで向かい合って座ります。その時の、将棋盤上の手前三段分のマス目が自分の陣地になります。逆に相手側の奥から三段分が相手の陣地になります。
最初はそれぞれの陣地内の定位置に自分の駒を並べて対局を始めますが局面が進んでそれぞれの駒が相手の陣地の中に攻め入った時に「成る」事ができます。「成る」時には駒を裏返して裏の赤い字を表にします。
駒が「成った」時にはそれぞれの駒の種類によって変わりますが、基本は「金」の駒と同じ動きになります。「成る」ことで「金」と同じになるので「成金(なりきん)」というわけです。
しかし「成金」は相手に取られて相手が自分の駒として使おうとする時には元の駒としての働きしか出来ないことになっています。

将棋の駒にはそれぞれ特徴があって一手で動ける範囲が違っています。詳しいことは割愛しますが「香車」は相手の陣地に向かって好きなだけ前に進むことができますが後戻りすることはできません。「桂馬」は前に向かって2つ、そこから左右のどちらかに1つ移動する”やや斜め前”のどちらかに移動することができます。
一方で「金」はというと自分の前方の左右中央の3マスと左右の2マス、真後ろの1マス、つまり斜め後ろ以外に1マス移動することができます。
ここからが面白いのですが「銀」「桂馬」「香車」の3つは「成金」になってしまうとそれまでの独特の駒の動きができなくなってしまうのです。つまり「金」とまったく同じ前後左右に一コマだけしか移動できなくなってしまうわけです。

そこで将棋では駒が相手の陣地に攻め入っても「成る」か「成らない」かは自分で宣言できることになっています。一度「成って」しまった駒を元に戻すことはできませんが、最初は成らないでいて、自分に都合がいい時の一手で成ることもできます。
「歩」は最初から前にひとマス進むことしかできませんから「成って」おいたほうが有利ですがそれ以外の「銀」「桂馬」「香車」はその駒にどんな能力を求めているのかによって判断が必要になります。
「銀」の斜め左後ろに下がる力を使って「王手」を掛けるのであれば「成銀」に成ってはいけません。成ってしまうと「銀」の斜め後ろに下がる力がなくなってしまいます。
「王将」「玉将」「金」はそもそも成ることができませんが「飛車」「角行」「歩兵」は今まで持っていた力を失うことなく動きが強化されるだけなので「成って」おいたほうが有利です。

このように駒によって「成る」ことで元々持っていた自分の能力や特徴をスポイルしてしまうことがあるということは、人の場合でも言えます。
子供の頃から純真で正直者だった人がちょっと小金を手にしたことで金の亡者になってしまい周囲からの信頼を失ってしまうような場合です。お金を手に入れたことでいわゆる社会的な強者にはなったものの人間性が失われてしまうことは残念なことですが、人によっては「人間性で腹が一杯になるか!」という価値観を持つ人もいます。逆にいくらお金があっても他人から疎まれるようになっては生きる価値がないと思う人もいるでしょう。
どちらがいいかは人それぞれですが、時と場合によってはどちらか一つを選ばなければならない場面に出会うことがないとも限りません。

今、自分が持っている力をすべて含んだ上で新たな力を手に入れるのであれば問題はないわけです。将棋でいえば「飛車」「角行」です。「歩兵」はともかくとして、この2つの駒がどうして「成る」ことでそもそもの強さを保ちながら自分をパワーアップするような動きをするようなルールにしたのかは分かりません。しかし他の駒と違うのはそもそもの能力が非常に高い、ということでしょうか。攻めの要として欠くことのできない能力を元々持っているということです。

遊びの将棋で初心者と上級者が対局する時にはハンディキャップをつけることがあります。最初から自分の手駒を減らしておくのです。もっとも大きなハンディキャップとしては「飛車角落ち」といって始めた時には自分の飛車と角を持たないで勝負に入ります。それくらいに勝負の行方に影響力を持った駒だということでしょう。

”欠くことのできない駒”でありその能力を失うくらいなら「成金」になどなる必要はない、とまで思われる能力を持っていれば「どちらかを選べ」などと言われることもなくなるのでしょう。そのためにはいざ「成る」という場面に遭遇する前から自分自身を高めて誰からも頼りにされるような能力を身につけることが大切です。普段から常に自分の能力を磨き高めようとすることだけがそのことを現実のものにしてくれるわけです。

話は変わりますが、「歩兵」の成り駒を「と金(ときん)」と呼びます。「歩」の裏にはひらがなの「と」という字が書いてあるからです。ところが先日、テレビを見ていたら「歩」の裏の文字は「と」ではなく「今」という字のくずし字(草書体)なのだと言っていました。「今」の字が音読みで「きん」とも読めることから「金」よりも画数の少ない「今」を当て字として使ったのではないかということでした。
50年来誤解してきたことが突然白日にさらされたようで恥ずかしいような得したような不思議な気分になりました。

「へぇ~」と思うことはいくつになってもなくならないものだとあらためて感じた一日でした。