男はどうして見栄っ張りなのか

やったこともないのにやったことがあるといい、面識もないのに著名人を「知り合いだ」と言い、まったく知らないことでも知ったかぶりをして偉そうに批評する。
子供の頃にバイエルをちょっと齧っただけなのに「ピアノが弾ける」と言い、いざ弾かなければならない場面に遭遇すると弾けないことがバレないように逃げ回るのだが、結局のところ弾かせてみると初めてピアノに触るのとほとんど変わらなかったりする。それこそ恥さらしなのだが、普段から「バレなければいい」と思っているので性懲りもなくまたホラを吹く。
かように昔から男は総じて見栄っ張りである。そういうボクも人後に落ちないと思っているのだが、何かあるとすぐに見栄っ張りが頭をもたげてくる。かくの如く男はショーモナイ生き物である。

「見栄」というくらいだから他人からどう見えるかの評価を気にして出来ることなら尊敬されたいと思っている。カッコよくありたいと思っている。
失敗してバカにされることを極端に恐れ、他人より能力が劣っていることを認めようとしない。それも実にくだらないことでである。
アメリカのTVドラマなどで男同士がくだらないことで言い争いをしていると、仲裁に入った女の子は必ず「どうして男って自分ペニスのサイズを自慢したがるのかしら」とバカにしたように吐き捨てる。実に言い得て妙だ。

これは人間以外の動物のオスでも同様で、実力は即、腕力だったり脚力だったり戦闘力の高さだったり容姿の派手さだったりするがやっぱりオスは見栄を張る。ただ自然界ではハッタリやウソはすぐにバレてしまうので人間界よりは駆け引きはやや単純なのかも知れない。
つまり人間より歴史の古い生き物たちもやっているということは人間のオスだけが極端にアホだということではないように思う(と正当化してみる)。

良く言えば”プライド”の問題だ。プライドは”自尊心”などと訳されるが自分のことを「カッコイイ」とか「すごい」と自ら思う気持ちである。でも多くの場合、自分は思っているほどすごくもカッコよくもない。見栄に釣り合うほど優れているわけではない。というより劣っていると言ったほうがいいかも知れない。プライドだけは高いくせに実は劣っていることが分かると周りからバカにされてしまうと思いこむので、虚勢を張って自分の地位を守ろうとする。周りのことを考えないで自分が有利になることばかり考えていると「ケツの穴の小さい人間」などと言われてしまうのだが、それでも自分の身の丈を認めようとはしない。もはや裸の王様だ。

見栄を張るということは周囲からの評価を異常に気にするということだ。つまり自分の実力以上に褒められたいわけである。この気持は分からなくもない。人間誰だって貶されるよりも褒められたほうが嬉しいものだ。褒められて怒る人はいない。そしてできればいつも一番でいたい。周りよりも優れた存在だと思われていたい。
でも実際は優れていないし自分に自信がないから虚勢を張らなければならない。そのためにプレッシャーを感じている。いわゆるコンプレックスだ。
周りから羨ましがられることは本人にとっての勝利だ。自分は何の悩みも無く、恵まれた優雅な人生を送っていると思われたい。だからそれを一層アピールする、自慢する。ウソでもだ。いやウソと言っては男も可哀想だ。言い換えよう、見栄だ。自己顕示欲が強く自分の自慢をしたがるのはこういうところから起こる気持ちだろう。

でもほとんどの場合、見栄はウソで虚勢だということは周囲には判っている。負けず嫌いな性格がそうさせていることも分かっている。だから「また始まったな」と思っている。でも実のところ周りにいる人間だって見栄を張りたいのだ。自分の自慢をしたいのだ。でもそれは他の人にとって負け犬の遠吠えにしか聞こえないことが分かっているから言わないだけなのだ。

結局のところ、男はみんなショーモナイ生き物なのだ。