お土産

「旅行に行くとおみやげを買うのが楽しみ」という人も多い。かく言うボクも旅行先ではおみやげを探してしまう方だ。旅の記念だし、何しろそこでしか手に入らないのだ。家に帰ってから「あ~買っておけばよかった」と悔やむような思いはしたくない。「せっかくだから」とついついどうでもいいものにまで手が伸びてしまう。もっとも買ってくるおみやげは自分のためのものばかりなのだが。
気がつけば帰りのバッグはおみやげでパンパンだ。その時になって「どうしてこんなに重いんだろう」と考えても後の祭りである。

元々おみやげは、江戸時代のお伊勢参りや金毘羅詣に出かけた際に、自分の地元でお金を出しあった講の人たちに「お詣りをしてきたという証拠とご利益のおすそ分け」として発達してきたのだとどこかで聞いたことがある。だから全国から参拝客が来るような大きなお寺や神社があるところには必ずおみやげがある。確かに長野の善光寺にも伊勢神宮にも奈良の春日大社や東大寺、興福寺にも広い参道に宿坊やみやげ物屋がぎっしりと並んでいた。そして参道はおみやげを求める参拝客でどこもごった返している。

子供の頃の修学旅行のおみやげといえばペナント(旗)や記念コイン、キーホルダーが中心だった。今ではほとんど見ることもなくなってしまったが、昔はどこの観光地にもその地の名物や建物をデザインしたおみやげコインが売られていて、販売機にお金を入れると自分の名前やイニシャルとその日の日付が入ったコインが買えたのである。そしてそのコインをキーホルダーに仕立てるためにオプションのパーツも売店で売られていた。今でも神奈川の江ノ島や鎌倉に行くと古いみやげ物屋ではちょうちんやペナントを置いているところもある。もっとも今の若者がそんなモノを買うわけもないので買っていくのは中高年ばかりである。それでも40~50年ほど前にはそんなおみやげでも祖父や祖母が孫の修学旅行のおみやげとして大層楽しみにしていてくれたものである。

おみやげを買う心理とは何だろう?
旅行した思い出はあくまで旅した本人にしか残らないわけで、おみやげを貰った人がその旅行を思い出すことはない。普段は口にすることの少ない各地の名産品を食べられることくらいがせいぜいだ。そして貰った誰もが心からそのお土産を喜んでくれることは少ない。それでも我々はみやげ物屋に列をなす。
以前に聞いた話だが、日本人以外は旅行に行ってもお土産を買って帰る習慣がないのだという。その地の物はその地で味わうことに意味があるという考え方が、旅行に行く人にも残っている人にも染み付いているらしい。だからビジネスで出張した同僚から初めておみやげを貰ったときには面食らったという。なぜ日本人はビジネスで出掛けた先でまで身銭を切ってまで同僚におみやげを買ってくるのかと…。
かくの如く日本人におみやげ文化は深く根付いている。

そして自分のためのおみやげであっても”その土地でしか手に入らない”と思うとつい買ってしまう。ところが買って帰ってみたところで使わないモノが多いのだ。うちにも数々のおみやげの残骸がある。一度も着たことのないハワイで買ったアロハシャツ、家で飲む気にならない10年前の戸棚に入れっぱなしの地酒、食器棚の隅を占領しているランチョンマットやお盆など枚挙にいとまがない。
無駄だからもう買うまいと気づいて決めたのはつい最近のことだ。我ながらアホらしいと笑ってしまった。

空港のみやげ物屋を覗けば、どこにでも売っていそうなパッケージだけ変えた似たようなお菓子が並んでいる。面白いのはご当地キャンディーやキャラメルだ。青りんご味だの白桃味だのとちおとめ味だのシークァーサー(沖縄の柑橘類)味だのとどこに行っても必ずある。
人間の味覚というのは基本的に4種類(塩っぱい・甘い・酸っぱい・苦い)だけだ。だから食べた物の味の違いというのはその匂いに大きく左右される。つまりこれらのお菓子はこの4種類を人工的に組み合わせた味と人工香料があれば再現できる。ご当地の果物の果汁など使う必要はまったくない。でもご当地に行ってきたという証拠(アリバイ)にこれらのお菓子はうってつけだ。

ボクは20年ほど前から夏になると沖縄に出かけている。沖縄でも小さな離島なので現地にみやげ物屋はない。もっとも店があっても買わないだろう。
島に行けばそこで島のものを食べて島の景色を眺めて島の風を感じ、潮騒を聞いて満天の星空を見ながら眠る。この体験は写真やビデオに撮ることも録音することもできない。その場で感じるものだからだ。テレビCMではないが「モノより思い出」である。
だからおみやげを思いつかないわけだ。

以前は沖縄に行くと帰りに空港でジーマミー豆腐を買ってきた。これはじーまみ(地豆:ピーナッツ)で作った沖縄の豆腐だ。いわゆる沖縄の”ゆし豆腐”とも違って醤油味のトロッとしたかつおだしを掛けて酒のつまみにすると旨い。
一般的に沖縄土産というとちんすこうやサーターアンダギーが定番だったが最近では紅芋タルトや雪塩クッキーといった新し目のお菓子も増えている。初めて沖縄にやってきたらしい大学生などは国際通り(那覇で一番の繁華街)や空港で山のようにおみやげを買い漁っていく。最も最近では中国人旅行客のドン・キホーテでの爆買いのほうが凄まじいことになっているが…。

でも琉球ガラスややちむん(焼き物)などはそんなにたくさんあっても使うものではないし、もらっても趣味が合わなければ迷惑なだけだ。恐らくは貰う方も食べてなくなる物がいいと思っているはずだ。
しかもあまり好みがあまり尖っていない平穏でポピュラーなものがいい。誰にも”可もなく不可もない”無難なものがいいはずだ。
そんなことならいっその事おみやげなんてやめてしまえばいいようなものだが、これだけ日本人の中に浸透してしまっていると何も角を立てることもないと思ってしまう。

しかしボクは最近、沖縄でおみやげを買うことはほとんどなくなった。20年も毎年通っているともはや日常になってしまったのかも知れない。
ボクのように地方に故郷を持たない人間にとっては年に一度だけ行く沖縄は故郷のように感じている。故郷は”行くところ”ではなく”帰る”ところだ。毎年、那覇からフェリーに乗って島に着く頃には”帰ってきた”感でいっぱいになる。帰る時にはおみやげを持って帰るが家に戻る時には”お土産を買おう”と思わなくなってしまったのかも知れない。

ただ遊びで旅行した時には家に帰ってから旅の余韻に浸るのも悪くない。ボクは最近、旅行に行くと味噌や醤油を買ってくる。ポン酢を買うこともある。東南アジアでは香辛料やソースを買うこともある。
調味料はいい。すぐに普段遣いできて旅行の余韻も味わえる。普段の生活の中にあのときの旅の楽しかった思い出がぷんと香るひとときは楽しいものだ。